匠。」
「あれ、あんなことを。たんとお弄《からか》いなさいましよ。」
 裾を押さえてしゃがんだ文字若は、恥るように笑いながら、足袋を脱いだ。初太郎も、先に足袋を脱いで控えている。
 藤吉は黙って、自分の前を示した。
「三人並んで、ここへ足を投げ出しておくんなせえ。おいらあちょっと考えることがあって、足の裏を見てえんだ。」

      八

 文字若を中に、初太郎と宇之吉が左右に、三人は言われるとおり畳に腰を下ろして、行儀の悪い子供のように、素足を揃えて長く藤吉の方へ突き出した。
「こうでごぜえやすか。」
「何ですか、よっぽど変な御探索でございますねえ。」
 実際それは、いかにも奇異な光景だった。大の男ふたりと若い女が、どうなることかと恐しそうに並んで、素の足を投げ出している。文字若の足からは湯文字が溢れて、雪を欺くような肌《はだ》、象牙細工のような指、ほんのり紅をさした爪の色――恥らいを含んで足さきをすぼめた文字若は、絶えず微笑《ほほえみ》を続けていた。
 犬のように両手を突いた藤吉である。初太郎と宇之吉の足はざっと見たばかりで、かれの眼は、吸われるように文字若の足の裏に据って、動かない、舐めんばかりに顔を寄せて見入っている。文字若は、嬌態《しな》を作って、足を引っこめようとした。
「ありゃあ、いやですよ、親分さん。」
「まあ、待て。」その足首に藤吉の手がかかった。「変てこれんじゃあねえか。え、こう、弁天様の足のうらにゃ、胡麻の油が付いてるものけえ。」
 さっ!――と、文字若の顔から血の気が引いて、藤吉の手を蹴り解いて※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《あが》き起とうとした刹那、
「親分、おっしゃったとおりありやしたよ。」
 のそりと彦兵衛がはいって来た。手に、お美野が着て死んでいたのと同じ荒い滝縞の丹前、一連の細引きを持って――、
「彦、そいつあ、師匠の部屋から捜し出して来たか。でかしたぞ――これさ師匠、もう駄目だぜ。種あ上った。直に申し上げりゃあ、お上に御慈悲もあろうてえもんだ。」
 くるり着物の裾を捲くってしゃがみ込もうとする藤吉から、文字若は、白紙のような顔になって飛び退《すさ》っていた。
 ばた、ばた、ばた!――と二、三歩、歩を返して障子に手がかかる。階下へ、文字若、本性の鉄火性を顕《あらわ》して逃げ伸びようとする。そこを、待ち構えていたように勘次が両腕の中にさらえ込んだ。
「放して! 放せったら放しやがれ!」
「いいてことよ。勘弁ならねえ。じっとしていなせえ。」
 巨きな勘次が、しっかりと――多分必要以上にしっかりと――なよなよした文字若のからだを抱き締めて、ただにやにや立っている。とたんに、障子の外に多勢の跫音が来て、に[#「に」に傍点]組の常吉の声がした。
「お役人様がお見えになりやした。」
「そら、勘的、」藤吉は笑って、「惜しかろうが旦那衆にお渡し申せ。」
 間もなく出張の同心加藤吉之丞の一行に文字若の身柄を引き渡した藤吉は、勘次彦兵衛の二人を連れて、もと来た道を八丁堀合点長屋への帰路にあった。
 門松、注連繩《しめなわ》を焼く煙りが紫いろに辻々を色彩《いろど》って、初春《はる》らしい風が、かけつらねた絣の暖簾《のれん》に戯《たわむ》れる。のどかな江戸街上、今の鍋屋の陰惨な事件をそっくり忘れたかのように、釘抜藤吉は、のんびりとした表情《かお》だった。
「えらく企らんだものですね。」急ぎ足に追いつきながら、葬式彦が言った。「いずれ、たった一人の姉を殺《ねむ》らして、身代を乗っ取ろうてえくれえの女だから――。」
「うむ。」藤吉はもう興味もなさそうに、「なにさ、屍骸が自分で動くわけあねえからの。」
 勘次が、感心した。
「なるほどね。」
「それが自分で競り上ったってえからにゃあ、屍骸は美野でねえはずだ。不審な事件《たま》ほど、手がけてみりゃあお茶の子さいさいよ。なあ彦。」
「大きにさようでげす。」
「おらあに[#「に」に傍点]組の話を聞いただけで、現場へ行き着く前から、まずこの辺と当りをつけていたんだ。それがお前、お美野さんの頸部《くび》を見りゃあ案の定、ありゃ細引きで縊れたもんじゃあねえ。もっと幅のある、こうっと、手拭いででも絞めたもんだ。手口は一眼でわからあな。常から反《そ》りの合わねえ姉妹だ。それにあの師匠は淫乱よのう。男に貢ぐ金に支《つけ》えて、お美野さんへ毎度の無心と来る。拒《は》ねつけられて害意を起すのは、ま、あの女ならありそうなこった。」
「するてえと、」勘弁勘次は、首を捻りひねり、「お美野さんが眠《ね》てるところへ飛び込んで、手拭いで締めて、首に細引きを結んで、その端を違い手へゆわえつけて――。」
「そうよ。いいか、二階の干台の綱の跡と麻屑を考え合わせてみろ。」
 藤吉の説明は――姉を締め殺した文字若は、それだけ細工を施した死体をそのままに、自分は両肩に綱を廻し、その上から、前もって用意しておいた、姉と同じ丹前を羽織って姉の美野になりすまし、二階のてすりを潜らした綱の一端を手に、軒下にぶら下って――。
「そこで、足で雨戸を蹴って初太郎を起こしたんだ。」
「ははあ、髪まで同じいぼじり[#「いぼじり」に傍点]巻きだから、こりゃあ誰でもお美野さんだと――。」
「面を見せねえように、うしろ向きに下がっていたてえことを忘れちゃいけねえ。おまけに、手を手繰って屍骸がのし[#「のし」に傍点]上がると見せかける。初太郎と宇之吉が胆をつぶして二階へ駈け上っている間に、悪才《わるざい》の利く阿魔《あま》じゃあねえか。おのれは、すとんと初太郎の部屋の縁へ降り立って、帯を解いてよ、二階の干台に長く二本に掛けてあるやつをするする[#「するする」に傍点]引き下ろしてこっそり自室《へや》へ飛び帰ったに違えねえ。このとおり泥を吐くから見ていな――すっかり衣裳をあらためて、初太郎宇之吉が姉の屍骸を見つけた頃合いを見計らい、眠呆《ねぼ》けづらを装《つく》って二階へ上って行ったのよ。だが、階下の縁へ飛び下りた拍子に、足の裏に敷居の胡麻油が付こうたあ、はっはっは、彦、この落ちあどうでえ、これこそ真実《ほんと》に、とんだことから足がついたってもんだぜ。」



底本:「一人三人全集1[#「1」はローマ数字、1−13−21]時代捕物釘抜藤吉捕物覚書」河出書房新社
   1970(昭和45)年1月15日初版発行
入力:川山隆
校正:松永正敏
2008年5月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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