たのさ。素人のあっしなんか、どうにも勘考《かんがえ》のつけようのねえ不思議な死に様《ざま》だあね。何て言ったってお前、お美野さんの屍骸がよ、その初太郎てえ野郎の眼の前で、こう宙乗りをやらかしたんでごわすからな――あうへっ! これだけは釘抜の親分も、どうやら手を焼きゃあしねえかと、ま、こいつああっしの、余計な心配かもしれねえが――。」
すっくと起ち上った釘抜藤吉だった。五尺そこそこの矮躯《わいく》に紺の脚絆、一枚引っかけた盲目縞《めくらじま》長ばんてん、刀の下緒のような真田紐《さなだひも》を帯代りにちょっきり結んで、なるほど両脚が釘抜のように内側へ曲がっている。いわゆるがに[#「がに」に傍点]股というなかで、もっとも猛烈な部に属する。慾目にも風采が上っているなどと言えないばかりか、正直のところ、まず珍々妙々なる老爺であった。
藤吉は、鷲掴みにした手拭いをはだけ[#「はだけ」に傍点]た懐ろから覗かせて、ちょこちょこと土間に降り立った。話なかばだから、驚いたのはに[#「に」に傍点]組だった。出口を塞ぐように立ちはだかって、
「親分、どちらへ――。」
言いかけた彼は、二度びっくりしなければならなかった。つと振り向いた藤吉の顔である。別人のような活気が漲って、獲物を香《か》ぎつけた猟犬の鋭さが、その眇《すがめ》の気味のある双眼に凝って、躍動して、放射している。その瞬間、に[#「に」に傍点]組の頭常吉は、この藤吉の眼の光に、柄にもなく現世で一番美しい、そして一ばん恐しい物を見たような気がした。それは、人間の意力が高潮に達した時に発する、一種の火花のようなものかもしれなかった。
四
「どこへ行く? べら棒め! 知れたこっちゃあねえか、大鍋へ出張って、ちっといじくってみべえか――勘、汝も来い。」
「あい。」
「彦、手前も気になるようなら随《つ》いてくるがいいや。」
「へえ。お供させていただきやす。」
「頭あ、ことの次第はみちみち承るとしよう。」
勘次が、戸前の焚火に水をぶっかけてそのまま合点小路を立ち出でた。なんとも奇妙な同行四人である。まともな恰好をしているのは常吉だけで、取られつづけの博奕打ちのような藤吉親分、真っ黒な痩せた脛で味噌こし縞ちりめんの女物の裾を蹴散らかして行く勘次兄哥、どんな時も商売を忘れないで、紙屑、鼻緒、木ぎれ、さては襤褸《ぼろ》でござれ何でござれ、歩きながら器用な長箸で摘んでは肩越しに竹籠へ抛り込んでゆく葬式彦兵衛――何のことはない、さながら判じ物のような百鬼|朝行《ちょうこう》が、本八丁堀三丁目、二丁目、一丁目とまっすぐに、松屋町宗印屋敷を左手に弾正橋を渡ると、本材木町八丁目、竹川岸から大根河岸までは、京橋を越えてほんの一足だ。炭町、具足町《ぐそくちょう》の家々の庇《ひさし》の朱いろの矢のように陽線《ひかり》が躍り染めて、冬の朝靄のなかに白く呼吸づく江戸の騒音が、聞こえ出していた。
藤吉は途中に[#「に」に傍点]組と並んで、ゆうべ白魚屋敷の大鍋こと鍋屋で行われた女将《おかみ》お美野殺しの一件を、聴いているのかいないのか、それでもときどき相槌を打ちながら、片裾を掴み上げて足早やに急いでいる。
五
小夜嵐?――しきりに雨戸が鳴る音で眼をさました初太郎はしばらく家の中でじっと耳を澄ました。たしかに風も出ているようで、戸を洩る空気の揺らぎで枕行燈の火が小忙《こぜわ》しく明暗の色を投げる。皿の底の残りすくなの油を吸う音が、どうかすると虫のように聞こえて、初太郎は、時刻を忘れて妙にしんみり秋だなあと思ったりした。
小金井宿の穀屋の番頭初太郎は、その朝江戸へ出て来たばかりだった。卸し先に店じまいをする家があって、そのほうの掛け金の整理と二、三心当りのある新しい顧客《とくい》を開拓するために、一月は滞在の予定だった。で、江戸へ着くとすぐ、定宿の大鍋に草鞋を脱いだのだが、二、三日は寝て暮らして旅の疲れを休めるつもりで、その晩はすこし早目に枕に就いたのだった。
それが、大分眠ったと思うころ、ぽっかり! 眼が覚めたので、初太郎は、もう朝になったのではないかという気がした。そう思うと、雨戸を鳴らす風も暁風《あさかぜ》のように考えられるし、気のせいか戸の隙間に仄白い薄明りさえ感じられた。それにしては、世間が死のように静かなのが――初太郎はむっくり起き上った。宿のどてらを羽織って、小首を傾げながら縁側へ出た。
縁側へ出た拍子に、がたんと大きく、雨戸が鳴った。端寄りの一枚である。どうしても風ではない。その雨戸の真ん中辺へ何か固い物が外部《そと》からぶつかった音に相違ないのだ。初太郎は手早く桟を下ろして、雨戸を引いた。とたんに、湿気を含んだ濃い闇黒《やみ》が、どっと音して流れ込む。初太郎はぶるると身
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