物|覚書《おぼえがき》」という題で遺っている、大福帳のような体裁の、半紙を長く二つ折りにした横綴じの写本である。筆者は不明だが、釘抜藤吉の事件帖である。その筆初め「の[#「の」に傍点]の字の刀痕のこと」の項に、親分藤吉の人物と名声をこう説明してあるのだ。それは以前、藤吉第一話のなかに書いたことだが、いまこうして、もう一度くり返しておくことも、あながち無駄ではあるまい。
 大声を上げて飛び込んで来たのは、町火消しに[#「に」に傍点]組の頭常吉だった。
 竹片を突き刺して、火の通りをよくしていた勘弁勘次は、その竹を焚火のなかへ投げすてて、びっくり、腰を伸ばした。
「なんでえ。でっけえ声をしやがって――おお頭じゃあねえか。てえへん[#「てえへん」に傍点]とは大いに変ると書く。めったに大変などと言うめえぞ。勘弁ならねえ。」
「勘さんか、」とに[#「に」に傍点]組は肩で呼吸《いき》をして、「や、偉《えれ》えことになった。大鍋《だいなべ》のお美野さんがお前――。」
 言いかけたとき、立てつけの悪い藤吉方の格子戸を内部《なか》からがたぴし開けて、なんともいいようのない不思議な、眠そうな声が、水を撒くように冷たく、低く聞えて来た。
「かんかんのう、きうのれす、きうはきうれんれん、にいくわんさん、いんぴんたいたい、しいくわんさん……。」
 文化の末、大阪の荒木座で道楽者の素人芝居があって、その時人気を呼んだ唐人唄と称する与太ものなのだが、これが江戸へもはいって、未だちょいちょい流行っている。それはいいが、今その唐唄《からうた》をお経のように厳《おごそ》かに唱えながら現れたのは、藤吉第二の乾児――といっても二人きりなのだが、その二の乾児のとむらい彦、葬式彦兵衛だった。
 勘次があくまで鉄火者なのに引きかえて、この下っ引の葬式彦兵衛は、まるで絵に描いた幽霊のような存在で、しじゅう何かしらこの唐人唄のようなことを、ぶつくさ口の中でつぶやいているのみか、紙屑籠を肩に毎日江戸の巷を風に吹かれて歩くのが持前の道楽、有名な無口《だまり》家で、たいがいの用はにやり[#「にやり」に傍点]と笑って済ましておくが、そのかわり物を言う時には必要以上大きな声を発して辺りの人をびっくりさせた。そして、超人間的に感覚の発達した男だった。朝も晩も鉄砲籠を肩に、足に任せてほっつき廻っているので、大路小路の町名、露地抜
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