四

 日光が、風を払って、翌朝は、けろりとした快晴だった。
 藍甕《あいがめ》をぶちまけたような大川の水が、とろっと淀んで、羽毛《はね》のような微風と、櫓音と、人を呼ぶ声とが、川面を刷いていた。
 お石場にも、朝から、陽がかんかん照りつけて、捨て置きの切り石の影は、むらさきだった。
 雑草が、土のにおいに噎《む》せんで、春のあし音は、江戸のどこにでもあった。
 そんな日だった。
 前夜の、理由のない恐怖と妖異感は、陽光が溶かし去っていた。階下の茶箪笥の上の竜手様は、金いろの朝日のなかで、むしろ滑稽に見えた。
 手垢と埃塵《ごみ》によごれて、小さく固まっている竜の手――忘れられて、馬鹿ばかしく、ごろっと転がっていた。
 朝飯の食卓だった。
 庄太郎は、この一つ目からすぐ傍の、弥勒寺《みろくじ》まえ、五間堀の逸見《へんみ》若狭守様のお上屋敷へ、屋根の葺きかえに雇われていて、きょうは、仕上げの日だ。急ぐので、中腰に、飯をかっこんでいた。
 おこうが、味噌汁をよそいながら、
「つぎの仕事は、もう当りがおつきかえ。」
「親方のほうに、話して来ているようだ。」
 惣平次も、口いっぱい
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