ぼ》すなんてのは、有難冥利に尽きるこった。いや、おいらの子だが、庄公は感心者だ。どこへ出しても恥かしくねえ、なんと立派なもんじゃあねえか、なあ婆さん。」
「だからさ、庄太ひとりを柱と頼んで、末をたのしみにこつこつやって行けばいいんだよ。なにもぐずぐず言うことはないじゃないか――ほんとに、よく飽きずに吹くねえ。屋根を持ってかれやしないかしら。」
庄太郎が、小さく叫んで、腰を浮かした。
「あ、来たようだぜ、誰か――久住さんに違えねえ。」
石のあいだを縫って、跫音が、近づいて来ていた。建付けのわるい土間の戸が、外部から軋《きし》んで開いた。
「皆さん、御在宿かな?」
番小屋を訪れるにしては、しかつめらしい声だ。しかも、武家の語調《ことばつき》なのである。
「久住さんだ――。」
惣平次が、そそくさと起って、迎えに出た。おこうは手早く縫いものを片付けて、庄太郎が、炉の火に、焚木《たきぎ》を加えているうちに、風といっしょに久住|希《き》十郎がはいってきて、戸口で、惣平次と挨拶を済ますと、色の変った黒羽二重の裾を鳴らして六畳へ上って来ながら、
「いや、吹くわ。吹くわ。それに、墨を流したような闇黒じゃ――こんな晩にお邪魔に上らんでも、と、大分これでも二の足を踏みましたが、またしばらく江戸を明けるでな、思いきって、出かけて来ましたわい。おう、おう燃えとる。ありがたい。戸外は、寒うての。」
久住は、大小を脱《と》って傍へ置くと、きちんと炉ばたにすわって、手をかざした。
そして、激しく咳き入った。
二
この、水戸様の石揚場で、「お石場番所」を預かっているおやじ、惣平次夫婦は、若いころ江戸へ出て来たが、九州|豊後《ぶんご》の国、笹の関港の生れである。
笹の関は、中川修理太夫の領内で、したがって、藩士の久住希十郎とは、故郷許《くにもと》からの相識《みしり》だった。もっとも、しりあいといったところで、身分が違う。惣平次は漁師上りで、久住は侍――が、しかし、これも、怪しいさむらいだった。笹の関からすこし離れた焼津《やいづ》の浜に、中川藩のお舟蔵があって、久住はそこのお荷方下見廻りという役の木っ葉武士なのだ。しじゅう船に乗って、豊後水道を上ったり下ったり、時には遠く朝鮮、琉球まで押し渡ったりする。これは、名は貿易だが、体のいい官許の海賊で、希十郎は、まず、その海賊船隊の小頭格だ。からだが明《あ》くと、休養かたがた江戸見物に呼ばれて来て、何カ月もぶらぶらしている。そうかと思うと、ふっと、帰国《かえ》されて、また焼津の浜から船へ乗り込んで、どこへとも知らず錨を上げる。
海で育った惣平次とは、話が合うのだった。
今度は、わりに長く江戸にとどまっていて、神田|筋違御門《すじかいごもん》ぎわの修理太夫の下屋敷から、こうして三日に上げず、この惣平次の番所へ遊びに来るのである。
いつも親子三人を前に、いろいろ話しこんで行く。海の冒険談、そういったものが主で、江戸育ちの庄太郎には、珍しかった。
それが、急に、もうじき豊後へ帰郷《かえ》ることになったというので、庄太郎は、名残り惜しそうに、
「また海へお出になるのでございましょうね。このたびは、どちらへ? 唐天竺《からてんじく》でございますか。それとも、南蛮《なんばん》とやら――。」
「いや、」久住は、首を傾げて、「南蛮まで伸《の》すことはござらぬが、しかし、それもわからぬ。どこへ参るのやら、船出した後までも、われわれ下役には、御沙汰のないのが常でな、とんと見当がつき申さぬよ。」
木の瘤《こぶ》のような肩と、油気のない髪をゆすぶって、いつまでも哄笑がひびいた。
潮焼けしたとでもいうのか、恐ろしい赤毛である。身長《せい》が高くて、板のような胸だ。そして、茶色の顔に、眼がまた、不思議に赤い。交際《つきあ》っていて、見慣れているから、惣平次一家の者は平気だが、誰でもはじめて会う人をちょっとぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とさせる、うす気味のわるい人間だった。が、気は、至極いい。穏和《おとな》しいのである。
風が、いきおいを増した。
おこうが、あり合わせの物に、燗をつけて出すと、久住は、惣平次と酒盃《さかずき》をかわしながら、その、風のうなりに耳を傾けて、暗夜の海上――帆音を思い出すような眼つきをした。
例によって座談《はなし》が弾んで、久住の口から、遠い国々の港みなとの風景、荒くれた男たち、略奪、疫病、変った人々の生活ぶり、などが物語られる。
尽きない。
「なにしろ、二十年も、焼津船にお乗りになっていなさるのだからな。」惣平次が、おこうをかえり見た。
「はじめてお舟蔵へ上られたころから、存じあげているのだが、いまの庄公より年下の二十歳の少年《こども》衆だったよ。」
「まあ、それにしても
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