こんでいるようすなのだ。
が、日を経るにつれて、この、考えてみると根拠《よりどころ》のない期待は、薄らぐ一方だった。万一《もしや》の儚《はか》ない希望が、しんしんと心を刻む痛さ、寒さに、置き代えられて来た。
おこうも惣平次も、言葉を交さなかった。口をきかなかった。何も、いうことを有たないのだった。日が、長かった。夜は、もっと長かった。
やがて、初七日の今夜だった。
通夜をするような心持ちで、壁を背に、じっと坐している藤吉に、細い、低い、押し潰れた声が、聞えて来た。
また、おこうが、涕《すす》り泣いているのだった。
「寒い。二階へ上って、寝ろよ。」
惣平次が、言った。
「つめたい石の下で、庄坊こそ、どんなに寒いことか――。」
おこうは、こう言って、泣き声を新たにした。が、すぐに止んで、藤吉の見ているまえで、おこうの小さなからだが、すうっと伸びて起った。
「手じゃ!」人間の声らしくない声なのだ。「竜の手じゃ! ほれ、ほれ、竜手様――。」
藤吉よりも、惣平次が、慄然《ぞっ》としたらしかった。
「どこに、どこに竜手《りんじゅ》さまが――おこう、どうした。」
炉を廻って、老夫《おっと》の前へ進んで、
「貸して下さいよ、竜手様を。」おこうは、もう平静にかえっていた。「棄てやしますまいね。」
「押入れの奥に、投げ込んである。なぜだ。どうするんだ。」
泣き笑いが、おこうの全身を走り過ぎると、ふっと彼女は、不自然な、真面目な顔だった。
「思いついたことが、あるんですよ。なぜ早く、気がつかなかったろう――お前さんも、ぼんやりしてるじゃないか。嫌だよ、ちょいと!」
急に、若やいだ態度で、おこうは、娘のように、甘えた手を振り上げて、打つ真似をした。ぎょっとして、惣平次が、一歩退った。
「何を、なにを思いついたと――。」
「あれ、もう二つの願いさ。三つ叶えてもらえるんだろう? あと二つ残ってるじゃあないか。」
「竜手様のことか。馬鹿な! 止せ! あの一つで、おれは、おれは――もうたくさんだ。」
「そうじゃないんだよ。わからない人だねえ。」
おこうは、奇怪に、少女めいた声音になって、しなだれかかるように、
「もう一つだけ、願ってみようよ。よう、もう一つだけさ。はやく、竜手様をお出し! さ、庄公が、今すぐ立派に生き返りますようにって、ね、願うんですよ。」
暗い隅から、藤吉は、光った眼を上げて、固唾《かたず》を呑んだ。
ひっそりと、沈黙がつづいた。
「何をいう――気でも違ったのか。」
「お出し! 竜手様をお出しってば! しっかり、お願いするんだよ。たった今、庄太郎が生きかえって来ますように――。」
惣平次は、手を、妻の肩へやって、優しく、
「寝な。な、寝なよ、二階へ上って、よ。」
おこうが、激しく振り切って、老夫婦は、二人でよろめいた。
「おこう、お前は、どうかしているな。」
「どうもしてやしませんよ。初めの願いが叶ったのだから、二番目の願いも、聞き届けられるにきまってるじゃないか。竜手さまを持っておいでというのに、どうして持って来ない。ようし! どうあっても、願わないか。」
眼が、血走って来た。白髪が、顫《ふる》えて、顔へかかった。
はじめて気がついたように、ちらと藤吉を見て、惣平次は、平らな声を出そうとつとめた。
「いいか。死んでから、何日経ったと思う――。」
「お願いするんだよ。竜手様へお願いするんだよ。なぜ願わないか。」
おこうは、惣平次へ武者振りついて、異常な力で、押入れのほうへ引きずった。
二人の影が、もつれて、天井に、壁に、大きく拡がって、揺れた。
老いた人々の、痩脛《やせずね》も、肋骨《あばら》も、露わにしての抗争《あらそい》は、見ている藤吉に、地獄――という言葉を想わせた。
「惣平! 出せ! 出して、願うんだ。」
思わず出た、藤吉の声だった。
六
偶然ではあろう。竜手様という、竜の手が、海蛇の乾物か、とにかく、伝説的な品ものを手に入れて、それに、いたずら半分の試しごころから、百両の金を祈った翌日、ちょっとした自分の不注意で、庄太郎があんなことになったのは、つまり、そういう巡り合わせだったのだろう。
その逸見家の香奠が、百両だったばっかりに、ちょうど、この願いが届くために、百両のかたに庄太郎の生命を奪られたようなことになって、そこに、言いようのない怪異が生じるものの、所詮は、偶然――すべてが、再び、そういう廻りあわせだったのだ、と、藤吉は、信じたかった。
不可思議――どうしても、人間の力で説明がつかないなどということは、この人間の世の中に、あり得ない。
一見、まことに不可思議な事件であっても、それはみな、一言の下に明かにすることができる――「偶然事」という簡単な言語で。
否
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