、不可思議な出来事であれば、あるほど、その連鎖に、偶然の力が色濃く働いていて、いっそう解決は容易なのである。
釘抜藤吉は、漠然《ぼんやり》とだが、いつも、こんなようなことを考えていた。岡っ引藤吉の、岡っ引らしい、これが、唯一の持論だったと言っていい。
が、この竜手様の一件だけは、その最後まで考え合わせると、ただ単なる偶然として、片づけ去ることのできないものがあるように、思われてならない。
「薄っ気味の悪い不思議だて――。」後あとまで、藤吉はよくこう呟いて、首を捻ったと言う。不思議ということばを、釘抜藤吉は、はじめて口にしたのだった。
偶然を、藤吉親分は、巡り合わせと呼んでいたが、そのめぐりあわせだけでは説き得ない、割りきれないものが、藤吉《かれ》の心に残ったに相違なかった。
惣平次は、しなだれて、押入れを開けた。奥へ這い込むようにして、しばらく押入れ中ごそごそ言わせていたが、やがて、発見《みつ》け出した竜手様を、汚なそうに、怖ろしそうに、指さきに挾んで、腰を伸ばした。
額部が、汗に冷たく、盲目のように、空に両手を泳がせて、部屋の真ん中に立った。
おこうの顔も、米のように、白く変っていた。いま何よりも惣平次の恐れている、いつものおこうのようでない表情が、眉から眼の間に漂って、すっかり、相違いがしていた。
「願いなさい!」
強い声だ。おこうが、命令したのだ。藤吉もわれ知らず起って、炉の火の投げる光野《ひかり》のなかへ、はいって来ていた。
「ばかばかしい――。」
惣平次が、呻くと、おこうは、蒼白く笑って、
「お前さんこそ、そのばかばかしいことで、庄太郎を殺したんじゃないか。お前さんが、百両の代に殺した庄吉を、生き返らせるんですよ。さ、願いなさい!」
竜手様を持った惣平次の右手《めて》が、高く上がった。
「どうぞ、庄太郎が生きかえって来ますように――。」
「今すぐ!」
「今すぐ!」
竜手様は、畳へ落ちて、小さくもんどりを打った。それを見つめながら、惣平次も、気が抜けたように、べたんと坐っていた。
おこうは、異様に燃える眼を、土間の戸口へ据えて、男のように、立ちはだかったままだった。
三人を包んで、深夜の静寂《しじま》が、ひしめいた。
つと、おこうが、しっかりした足取りで、部屋を横切った。そして、石場に面した連子窓《れんじまど》の雨戸を開けて、戸外《そと》に見入った。
湿った闇黒が、音を立てて流れ込んで来て、藤吉は、屋棟を過ぎる風の音を、聞いた。
いつの間にか、黒い風が出ていた。
七日前の晩と同じ、ひどい烈風《かぜ》だ。大川の水が、石場の岸に白く泡立っていた。柳が、枝を振り乱して、陰惨な夜景である。この番所の一軒家は、突風に踏みこたえて、戸障子が、悲鳴を揚げているのだ。斬られるような、寒気だ。それが、河風に乗って迫って来た。積み石を撫でる柳枝の音が、遠浪のように、おどろおどろしく耳を噛んだ。おこうは窓のまえを動かない。
冷えた肩を硬張らせた惣平次は、その、老妻《つま》の背後《うしろ》すがたに眼を凝らして、ちょこなんと、坐ったきりだ。
諦めたらしく、おこうが窓を締めて、炉ばたへ引っ返そうとした時である。
野猿梯子が、ぎしと軋《きし》んで、つづいて、壁の中を掠めて、鼠が騒いだ。行燈の油が足りなくなったのか、圧迫的なうす暗がりが、四隅から、絞ってきていた。
戸を、そとから叩く音がするのだ。三人の顔が、合った。いっしょに、戸のほうを向いて、おこうが、
「何でしょう――。」
惣平次は、ちら、ちらと、藤吉へ眼を走らせて、
「鼠だ。」
戸を叩く音が、高くなった。
「庄太郎です! 庄公が来た、おう! 庄公が来た。」
おこうが、叫んで、跣足《はだし》で、土間へ駈け下りた。
「おうお、庄太かい。いま開けるよ。今あけるよ。」
割れるように戸を叩く音が、家じゅうに響いた。すると、惣平次は、その怪しい場面が、たまらなくなって来たのだ。頭部を砕いた庄太郎が、墓へ埋めたままの姿で、いまここへはいって来ようとしている、竜手様に呼ばれて――。惣平次は、わが子ながら、その妖怪庄太郎の帰宅が、恨めしかった。厭わしかった。入れてはならない。そんな気がして、また、藤吉を見やると、藤吉の視線も、いつになく戦《おのの》いて、同じ意味を返事《かえ》して来た。
おこうの手が、戸にかかって、がたぴし開こうとしている。そとに立って、戸を叩いている「物」の、白い着衣――経帷子《きょうかたびら》が風にひらひらして、見えるのだ。惣平次は、一直線に土間へ跳んで、おこうを押し退けようとした。が、おこうが、「何をするの! 寒いお墓から来たんじゃないか。五本松の浄巌寺から――庄太郎なんだよ! 庄太が来てるんですよ!」
戸にしがみついて、また、一、二寸引
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