の飯の中から、
「庄公はまだ、瓦職とは言っても、下から瓦を運ぶ組だろう。なかなか屋根へは上げてくれめえ。もっとも、高えところへ上って、瓦を置くようになりゃあ一人前だが――。」
「冗談いっちゃあいけねえ。今度の仕事から、どんどん上へあがって、瓦を並べていらあ。おらあ何だとよ、手筋がいいとよ。親方が、そ言ってた。」
「そうか。この野郎、そいつあ鼻が高えぞ。しかし職人の中で、この瓦職なんざあ豪気なもんよな。殿様が下をお通りになっても、こう、上から見おろして――まったく、家のてっぺんの仕事だからな。床柱を削る大工《でえく》といっしょに、昔から、まず、諸職の上座に置かれてらあ。」
 惣平次が、おこうを見ると、おこうは、誇らし気な眼を、庄太郎へやった。
「うんにゃ、おいらなんざあ、駈け出しだから――。」
 庄太郎は、得意に、微笑して、丈夫な音を立てて沢庵を噛んでいた。
 おこうが、惣平次に、
「十日ばかり、ぱっとしない日が続いたねえ。お洗濯がたまって、大事《おおごと》だよ。」
「手隙を見て、おれが乾してやろう。」
 もう起ち上って、庄太郎は、法被《はっぴ》に袖を通した。突っかけ草履で、土間を戸口へ、
「父《ちゃん》は、今日は、暇かえ。」
「ひまでもねえが、この二、三日、お石舟のお触れもねえから、揚げ石もあるめえと思うのだよ。」
「まあ、石場で、日向ぼっこでもしていなせえ。晩、帰りに、安房屋《あわや》の煮豆でもぶら提げて来らあ。」
 思い出して、おこうが言った。
「ゆうべのように風の強い晩などは、なんでもないようでも、やっぱり、心持ちがどうかしているとみえるねえ。馬鹿らしいことを、ちょっと真に受けたりして――。」
 惣平次が、訊いた。
「何だ。」
「竜の手さ。竜手さま、とか――。」
「あはははは、おらあ、すっかり忘れていた。」茶箪笥を振り返って、「百両、百両――。」
「そうだ。」庄太郎も、半分戸ぐちを出ながら、「昨夜《よんべ》の百両は、まだ授からねえじゃねえか。今にも、ばらばらっ! と、こう、天から降って来るかもしれねえぜ。」
 妻と息子と、二人にひやかされて、惣平次は、人のよさそうな微笑《わらい》を笑った。
「だが、この天気だ、久住さんも、およろこびで早発足《はやだち》なすったろう――百両か。なあに、おらあその内に、ひょっこり浮いて出ると思ってる。なるほどというような廻り合わせで、手に入るんだ。それに違えねえ。」
 と、また、竜手様へ視線を向けると、庄太郎は、
「ははははは、そのことよ。気長に待ちねえ。じゃ、行って来るぜ。」
 踊るように弾む若いからだが、石場を通り抜けて、一つ目橋の袂から、往来へ出て行った。
 おこうは食事のあと片付け、それから、家の中のこまごました女の仕事に、取りかかる。ひとまわりお石場を掃いて来て、惣平次は、陽の射し込む土間に足を投げ出して、手網の繕《つくろ》いだ。
 白昼《まひる》の一刻一ときが、寂然《しいん》と沈んで、経ってゆく。
 もうあの、竜手様のことなど、老夫婦のあたまのどこにもなかった。
 庄太郎は、弁当を持って行って、午飯《ひる》には帰らない。
 正午だ。惣平次とおこうが、さし向かいで、茶漬けを流し込む。
 食休みに、雑談になって、おこうが、
「お前さんどう考えているか知らないけれど、庄太郎に、もうそろそろねえ――。」
「嫁の心配かえ。」
「早すぎるってことはありませんよ。心掛けておかなければ、ほかのことと違って、こればかりは、急に、おいそれとは、ねえ。」
「そうだ――しかし、早えもんだなあ。昨日|蜻蛉《とんぼ》を釣っていたように思う庄公が、もう嫁のなんのと、そのうちに初孫だ。婆さん、めでてえが、おれたちも、年齢を取ったなあ。」
「ほんとにねえ。それにつけても、庄太郎は働き者だけに、いっそう早く身を固めてやったほうがよくはないかと、わたしゃ思いますよ――おや! なんでしょう?」
 突然、石場を飛んで来る二、三人の乱れた跫音が、耳を打った。
 ふり向く間もなかった。
 開け放しの土間ぐちを、人影が埋めて、走りつづけて来たらしく、迫った呼吸が、家じゅうにひびいた。
 庄太郎の親方の、瓦長、瓦師長五郎と、二、三人の弟子だ。うしろから、用人らしい老人の侍が割り込んで来ようとしていた。
 呑みかけの茶碗をほうり出して、惣平次は、突っ立った。おこうも、上り框《がまち》へいざり出て、
「何でござります、何事が起りました。」
 長五郎は、鉢巻を脱って、ぐいと額の汗を拭いながら、やっと、声を調《ととの》えた。
「何とも、誰の粗相《そそう》でもねえんで――運でごわす。」
 惣平次夫婦は、唾を飲んで、奇妙に無関心に、黙っていた。
 弟子の一人が、興奮した声だ。
「おらあ見ていたんだが、足が辷って、真っ逆さまに落ちたもんだ。下
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