のことを願いなさるがいい。くれぐれも、滅茶を願うてはなりませぬぞ。」
「お大名になりたいなどと――。」
親子三人は、声を合わせて笑ったが、久住は、苦渋な顔で、自在鉤《じざいかぎ》の鉄瓶から、徳利を掴み出して、じぶんで注いだ。
明朝早く出発して、豊後への帰国の途につく――そういって、大小をうしろ気味に差した久住は、いつもよりすこし早めに、風に抗《さか》らってかえって行った。
送り出して、三人が炉ばたへ帰ると、
「父《ちゃん》!」庄太郎が、にやにやして、「いいものが手に入ったぜ。さあ、これからおいらの家は、金持ちになる。おいらなんか、お絹《かいこ》ぐるみで、あっはっはっは――。」
大の字に引っくり返って、爆笑《わら》った。
「竜手様さまと来らあ! 竜の手だとよ、うふっ、利いた風なことを言っても、田舎ざむれえなんて、下らねえ物を持ち廻りやがって白痴《こけ》なもんだなあ。」
惣平次は、懐中の竜手さまを取り出して、しげしげと見てみたが、
「こうっ、と。おいらは、何を願うべえかな。」
ふざけ半分の、わざと真面目な顔で、おこうを見た。
庄太郎[#「庄太郎」は底本では「床太郎」]が、代って、
「百両!――父、百両の現金《げんなま》を祈りねえ。」
惣平次は、照れたように微笑って、その、竜の手という、汚ない乾物のようなものを、右手に高くさし上げた。
そして、おこうと庄太郎が、急に、謹んだような顔を並べている前で、大声に、呶鳴った。
「竜手様へ、なにとぞわしに、百両の金を下せえまし。お願え申しやす――。」
言い終らぬうちに、惣平次は、竜手様を投げ捨てて、躍り上って叫んだ。
「わあっ! 動いた! うごいた! 竜手様が動いた!」
びっくり駈け寄った妻と息子へ、蒼くなった顔を向けて、
「おい、動いたぜ、おれの手の中で。」
と、不気味げに、自分の手から、畳に転がっている竜手様へ、眼を落した。
「おれが願え事を唱えると、蛇みてえに曲って、手に巻きつこうとしたんだ。」
「だが、父、百両の金は、まだ湧いて来ねえじゃねえか。」庄太郎は、どこまでも嘲笑的に、「へん、こんなこって百両儲かりゃあ、世の中に貧乏するやつあねえや。畳の隙からでも、小判がぞろぞろ這い出すところを、見てえもんだ。竜の手などと、人を喰ってるにもほどがあらあ。」
「気のせいですよ、お爺さん。そんなからから[#「からから」に傍点]の乾ものが、ひとりで動くわけがないじゃありませんか。」
「まま、いいや。」惣平次は、口びるまで白くしていた。「動くわけのねえ物がうごいたんで、ちょいとびっくりしたんだ。おいらの気のせいってことにしておくべえ。」
夜が更けて、狭い家のなかに、斬るような寒気が、迫って来ていた。烈風は、いっそう速度をあつめて、戸外に積み上げた石を撫でる柳枝《やなぎ》の音が、遠浪の崩れるように、おどろおどろしく聞えていた。
三人は、消えかかった炉の火を囲んで、しばらく黙りこくっていたが、やがて、日常の家事のはなしになって竜手様《りんじゅさま》のことは、忘れるともなく、忘れた。
要するに、一時の座興である。
寝につくことになって、老夫婦は、二階へ上る。庄太郎は、階下の炉ばたに、自分の床を敷き出す。
竜手様は、部屋の隅の、茶箪笥の上へ置いて。
野猿梯子《やえんばしご》を上って行く惣平次へ、庄太郎[#「庄太郎」は底本では「床太郎」]が、またからかい半分に、
「父よ、おめえの床ん中に、百両の金が温まってるだろうぜ、ははははは。」
惣平次は、妙にむっつりして、にこりともせず二階へ消えた。
四
日光が、風を払って、翌朝は、けろりとした快晴だった。
藍甕《あいがめ》をぶちまけたような大川の水が、とろっと淀んで、羽毛《はね》のような微風と、櫓音と、人を呼ぶ声とが、川面を刷いていた。
お石場にも、朝から、陽がかんかん照りつけて、捨て置きの切り石の影は、むらさきだった。
雑草が、土のにおいに噎《む》せんで、春のあし音は、江戸のどこにでもあった。
そんな日だった。
前夜の、理由のない恐怖と妖異感は、陽光が溶かし去っていた。階下の茶箪笥の上の竜手様は、金いろの朝日のなかで、むしろ滑稽に見えた。
手垢と埃塵《ごみ》によごれて、小さく固まっている竜の手――忘れられて、馬鹿ばかしく、ごろっと転がっていた。
朝飯の食卓だった。
庄太郎は、この一つ目からすぐ傍の、弥勒寺《みろくじ》まえ、五間堀の逸見《へんみ》若狭守様のお上屋敷へ、屋根の葺きかえに雇われていて、きょうは、仕上げの日だ。急ぐので、中腰に、飯をかっこんでいた。
おこうが、味噌汁をよそいながら、
「つぎの仕事は、もう当りがおつきかえ。」
「親方のほうに、話して来ているようだ。」
惣平次も、口いっぱい
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