久の師匠は――?」
「溜りに、出を待っております。」
「ほかに、この辺に人はいなかったといいなさる。」
「はい。どなたも見かけませんでございました。」
「おう、円枝さんえ。」藤吉は、不意に声を落して、顔を突き出した。「隠しちゃあいけねえ。おっと、あわてるこたあねえのだ。おまはん、武右衛門とは、普段から仲が悪かったろうな。」
急に蒼褪《あおざ》めた円枝が、無言で、口を開けたり閉じたりしていると、おこよが言葉を挾んで、
「それは親分さん、あたしから申し上げます。武右衛門さんも、そりゃあ好い人でしたけれど、うるさくあたしにつきまとって、あんまりくどいんで、それに、あたしが嫌がってることを知ってるもんですから、なにかにつけ、円枝さんが買って出てあたしを守護《まも》って下すったんです。」
「とんだ惚気《のろけ》だ。」苦笑が、藤吉の口を曲げた、「ここらあたりと狙って、ちょっと一本|放《ぶ》ちこんでみたんだが、おこよさんの口ぶりじゃあ、どうやら金の字だったようだのう。」
にやりと、彦兵衛をかえり見ると、とむらい彦は、立ったまま寒そうに貧乏揺ぎをしながら、
「親分、あんな大の男が、どうしてああちょろっと絞め殺されたのか、それがあっしにゃあ、まだわからねえ。」
「べら棒め、おいらにもわからねえことが、彦づらに解ってたまるけえ。」
「だがね、親分。こりゃあ、絞め殺されたというよりあ、首に紐を巻かれて、はっとしてあわてる拍子に、自分で縊れ死んだ――んじゃあねえか、と、まあ、こいつああっしの勘考だが――。」
「でかしたぞ、彦。じつあおいらも、そこいらのところと――つまり、武右衛門は、いわば自力で縊ったようなものと、とうから踏んでいるのだ。が、誰が、どうやって、廊下を通ってる武右衛門の頸部へ、紐を巻いたか――。」
「影の仕業《しわざ》だね、親分。」
「そうよ。影の仕業よ。でその影あ――。」
「そこだて――。」
彦兵衛が、しっくり腕を組むと、藤吉は、珍しくにこにこして、
「彦、一足だ。よく考えてみな。おいらにゃあもう、およその当りはついてるんだ、ふははははは。」
銀兵衛や梅の家連の報せで、芸人の溜りから人が出て来て、楽屋うらは、騒ぎになりかけていた。
操り人形の名人として知られている竹久紋之助も、いつの間にかその部屋へはいって来ていて、おこよと円枝のうしろに、気むずかしそうな、老いた顔が見えていた。
余程の老齢らしく、柿色の肩衣をつけたからだも、腰がまがり気味に、油紙のような皮膚、枯木のような顔――弱い、いたいたしい老名人だった。
紋之助を見つけた藤吉の眼が、やさしく微笑した。
「竹久の師匠じゃあごわせんか。」
おこよが、びっくり振り向いて、
「あら、ほんとに――。」
「どうもとんだことで――お役目御苦労に存じます。」
慇懃《いんぎん》に藤吉へ挨拶して、幾分迷惑そうに、紋之助老人は、前へ出た。
藤吉が、
「ねえ、師匠、障子に影だけ見えて、それで、肝腎の人はいなかったというんで――この、二方口の廊下の、いってえどこへ消えたもんでげわしょうのう。」
「なあるほど。奇怪なこともあればあるもので――。」
「それより、首っ玉に紐を巻かれながら、どうして武右衛門さんは、相手を掴みつぶしてしまわなかったか――それが不思議でならねえ。」
「いや、まったく、ね。」
「なにしろ、あの力でがしょう――。」
「あの力だ――。」
「手が、届かなかったのかな。」
独りごとのように言って、藤吉は、高座の上り口の蝋燭を、じいっと見つめていた。
紋之助は、首を捻っただけで、答えなかった。
八
「親分さん、もう死体を取り片づけても、ようがすかね。」
男衆の藤吉が、訊きに来ても、藤吉は黙って、蝋燭の灯を見つづけながら、かすかにうなずいたきりだった。
すぐに、多勢の手で、重い武右衛門の死体を運ぶらしく、騒がしい人声と物音が、障子のそとの廊下に起って、遠ざかって行った。
紋之助は、じっとそれに聞き入るように、耳を澄ましているふうだった。
高座から、花坊主の唄う浮世節の節廻しが、粋《いき》に、艶っぽく洩れて来ていた。
藤吉が、おこよを片隅へ、さし招いた。
二人は、人形舞台の向うに立って、低声だった。
「おめえさんは、師匠の何かね。」
「何と申して、」おこよは、意外な面持ちで、「三味でございます――。」
紋之助老人が、聞きつけて、
「三味だけじゃあねえんで。私の人形の片手でございますよ。紋之助の人形は、おこよの糸に乗ってこそ、はじめてお客様の御意を取り結びます、はい。」
「あら、そんなこと――。」
おこよは、初心《うぶ》らしく、顔を赧くして打ち消しながら、紋之助を見た眼を、藤吉へ返した。
「竹久の大師匠の芸でございますもの。あたしの三味《いと》
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