湧いて、すぐに消えた。藤吉は、再び不機嫌な表情《いろ》に返って、周囲の人の顔から顔へと、無意味に見える視線を、しきりに走らせていた。
 出が近づいて、紋之助とおこよは、人形を取り出して、あやつり舞台の上に、並べている。狂言は、芹生《せりふ》の里寺子屋の段、源蔵、戸浪、菅秀才、村の子供たち、その親多勢、玄蕃《げんば》、松王――多くの、いずれも精巧を極めた人形である。
 人形の関節、胴、首など、要所要所に糸がついていた、紋之助が、神に近い至芸《しげい》で、上から糸を操る――正に天下一の竹久紋之助の人形だ。
「竹久紋之助といえる名人あり。人形|活《いけ》るがごとくに遣い、この太夫に、三味線はこよ女、いずれも古今に名誉の人、二人立揃いてつとめられし世に双絶の見物と、称誉せられしはこれなり。人形使い方のことは、その旧《もと》三議一統の書より起り、陰陽自然の事に帰す。深長に至りては、草紙のうえの沙汰に及ばずといえども、その大概を和歌につづりて、覚え易からしむること左の如し。
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踏み出しは、男ひだりに女右、これ陰陽の差別なりけり
当惑は額を撫でて屈み目に、身をそむけるが定まりし法
驚きは、顔しりぞけて肩を出し、拳を宙に置くものぞかし
笑う時、男は肩を添る也、女は袖をあててうつむく。」
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 その他、これら人形の表現法と基本動作を歌にして示したのが五十三首あって、古来喧ましい竹久家の名人芸だった。

      九

 人形を見ていて藤吉は、そんなことを考えていたわけではない。この時、かれの頭脳《あたま》はほかにあって、忙しく働いていたのである。
 出方の藤吉の眼は、とっさのことではあり、それに、相方《あいかた》が、ぼんやりした影法師なので間違っているかもしれないが、とにかく、その、障子にうつった影は――傴僂だったという。が、言うまでもなく、楽屋にせむしは、ひとりもいないのである。
 藤吉は、うっとりしたような眼で、彦兵衛を招いてささやいた。
「誰と誰てえことは言わねえが、おらあ一応五人の人間を疑ってみたんだ。が、考えてその四人まで身証《みしょう》がはっきりして取り除くとすると――最後《あと》の一人が犯人てえことは、なあ彦、動かねえところだろうじゃあねえか。」
「へえ、その五人目てえのは、誰なんで。」
 葬式彦は、わかったような、わからな
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