だ。出張らざなるめえ。」
顔見識りの朝湯仲間、あっちこっちから声をかけるなかを黙りこくった八丁堀合点長屋の目明し釘抜藤吉、対《つい》の古渡り唐桟《とうざん》に幅の狭い献上博多《けんじょうはかた》をきゅっと締めて、乾児の勘弁勘次を促し、傘も斜に間もなく紅葉湯を後にした。
「冷てえ雨だの。」
「あい、嫌《や》な物が落ちやす。」
慶応二年の春とは名だけ、細い雨脚が針と光って今にも白く固まろうとする朝寒、雪意《せつい》しきりに催せば暁天《ぎょうてん》まさに昏《くら》しとでも言いたいたたずまい、正月|事納《ことおさめ》の日というから二月の八日であった。遅起きの商家で、小僧がはっはっ[#「はっはっ」に傍点]と白い息を吐きながら大戸を繰っていたり、とある家の物乾しには入れ忘れた襁褓《むつき》が水を含んでだらり[#「だらり」に傍点]と下って、それでも思い出したようにときどきしおたれ気にはためいていたりした。
京の紅染めの向うを張って「鴨川の水でもいけぬ色があり」と当時江戸っ児が鼻を高くしていた式部好みの江戸紫、この紫染めを一枚看板にする紺屋を一般にむらさき屋と呼んで、石《こく》町、中橋、上槇《か
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