人は奥で顫《ふる》えてでもいるとみえて、店には、他に小僧が一人と染めの職人が一人、土間の隅にしゃがんで何かひそひそ[#「ひそひそ」に傍点]話し合っているだけ。
「ま、御免なせえ。春早々縁起でもねえ物を背負い込まされて、とんだ災難でごぜえす。が、こちとらの訊くだけのこたあ底を割っておもらいしてえんだ。なあ、俺も不浄が稼業《しょうべえ》でね、根掘り葉掘り嫌なことを言い出すかも知れねえが、気に障《さえ》ねえでおくんなせえよ。乙に匿《かく》したり絡んだりされるてえと事あ面倒だ。一つ直に談合しようじゃごわせんか。」
腰を下した藤吉、それから硬く軟かく、表から裏から、四人の男を詮議してみたが、要するに無駄だった。四つの口は、首には全然覚えのないこと、昨夜はたしかに笊を挾んでおいたのが、今朝常吉に起されて見たらどこの何者とも知れない彼の首がかかっていた、したがって何がなにやらいっさい解せないとの一点張り、何ら探索の手懸りとも観るべきものは獲られなかった。
「悪戯《わるさ》じゃあるめえ。」遠いところを見るような眼で、独言のように藤吉は続ける。「一夜《ひとよ》さに、竹の先の笊目籠が生首に変った。ふうむ、なにかえ桔梗屋さん、他人の意趣返しをされるような心当りでもありやすかえ? いやね、俺あ考えるんだが、どうもこいつああまり江戸じゃあ流行らねえ悪戯だからのう。」
物堅い桔梗屋八郎兵衛、四角く畏った。
「意趣返しなぞとは思いも寄りません。何一つ含まれるようなことはございませんで、へえ。」
「お糸さんはいく歳だったけのう?」
「取って十七でございます。」
「式部小町、評判だぜ。」
「お蔭様で彼娘《あれ》もしっかり者――。」
「岡目八目、こうっ、大丈夫けえ?」
「ええええ、その方はもう――じつはまだ祝言前ですからお披露目《ひろめ》も致しませんが、許婚《いいなずけ》の婿も決まっておりまするようなわけで、へえ。」
「婿? 耳寄りだな。誰ですい?」
「自家《うち》の弥吉でございます。職人並みに年期を入れさせておりますが、あれは死《な》くなった家内の甥で――。」
「うん、うん、弥吉どん、あの、色の白え、背の高え――そう言えば見えねえが、他行かえ。」
「へえ、十日ほど前に、浦和の実家へ仏事にやりましたが、もう今日明日は戻る時分と――。」
言っているところへ、
「旦那様、ただ今!」あわただしく駈け込んで来た若い男。手甲脚絆に草鞋に合羽、振分の小荷物が薄汚れて、月代《さかやき》の伸び按配も長旅の終りと読める。肩で息して首を振りながら、
「お店の前――な、何がありましたえ? く、首とかなんとか――私もちら[#「ちら」に傍点]と見ましたが、ど、ど、どうしたわけでござんすいったい?」
「おう、弥吉、よう早う帰りました。今もな、八丁堀の親分と、お前の噂をしていた矢先。」
「弥吉どん、お戻り。」
「弥吉どん、お戻り。」
「はいはい、偉くお世話になりました――これはこれは親分さま、いらっしゃいまし――旦那さま、浦和からくれぐれもよろしくと申しました。これは浦和名産五|家宝※[#「米+巨」、第3水準1−89−83]※[#「米+女」、第3水準1−89−81]《かぼうおこし》、気は心でございます。お糸様は?」
「おうお、なにからなにまでよく届きます。糸かい、首の騒ぎで気分を悪うしてな、頭痛がするとか言うて奥に臥《ふせ》っとりますわい。」
「お糸さんは、」藤吉が口を出した。「首を見たのけえ?」
「いいえ親分、見るどころか、それと聞いたら気味悪がってもう半病人、娘ごころ、気の弱いのに無理はござんすまい。」
「そうよなあ。」
呆然《つくねん》とした藤吉の耳へ、勘次の声が戸外から、
「親分、一件を下ろしたぜ。」
「そうか。よし。」
皆が一度に弥吉に首の経緯《いきさつ》を話す声、それを背中に聞いて、藤吉、往来へ出た。
桔梗屋の青竹獄門、ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と拡がったから耐らない。雨の日の無為《しょうことなし》、物見高い江戸っ児の群が噪いで人|集《だか》りは増す一方、甘酒屋が荷を下ろしていたが実際相当稼ぎになるほどの大人気。
「いよう、合点長屋あっ!」
「大釘抜っ!」
「親分千両!」
藤吉の姿にいろんな声がかかる。見渡したところ、早や先刻の遊人は立去ったらしかった。
「ちっ、閑人が多すぎらあな。」
呟いた藤吉、勘次の手から竹付きの首を受け取ったものの、顔面《かお》に千六本の刀痕《かたなきず》、血に塗れ雨に打たれて人相も証拠も見られないとしるや、二、三寸刺さった青竹を物をも言わず引き抜いて、ざぶり、首を天水桶へ突っ込んだ。並居る一同生きたこころもない。に[#「に」に傍点]組の常吉、海老床甚八、それに番頭と、旅装束のままの弥吉とが、力をあわせて押し返す群衆を制している。
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