頭常吉、人を分けて飛んで出た。
「親分、早速の御足労、かたじけねえ。」
「お出を待ってね、あれ、あのとおり、何一つ手をつけねえで放っときやした。八丁堀を前に控えてこの手口、なんと親分、てえっ[#「てえっ」に傍点]、惨《むげ》えことをやらかしたものじゃごわせんか。」
と、慌てて開いた衆中《ひとなか》に立った釘抜藤吉、返事の代りにうう[#「うう」に傍点]と唸って見る間に唇を歪めたが、桔梗屋の軒高く仰いで無言。
十二月と二月の八日はそれぞれに事始事納の儀とあって、前夜から家々に笊目《ざるめ》籠を竿の頭《さき》へ付け檐《のき》へ押し立てて、いとこ[#「いとこ」に傍点]煮を食するのがそのころの習慣《しきたり》だった。なるほど今町の左右を見れば、軒並に竹竿が立って、その尖端の笊に雨の点滴《したたり》が光っている。だから、桔梗屋の庇下《ひさし》左寄りの隅にも、天水桶と門柱との間に根元を押し込んで、中ほどを紐で横に結えて、高さ一丈ばかりの青竹が立っているのは、これは少しも異とするにたらないが、その竹の先に、南瓜《かぼちゃ》のように蒼黒く凍《かじ》かんで載っかっている一個の物、それは笊ではなくて、斬口鮮かな――男の生首だった。
甚八と常吉とがいっしょに口を開こうとした。言葉が衝突《ぶつか》って、双方、愕いて声を呑んだ。
周囲の群集は呼吸を凝らして、竹のうえの首と藤吉を交互《かたみ》に凝視《みつ》めている。がっしり[#「がっしり」に傍点]と腕組した藤吉が、音《ね》一つ立てずに薄眼を開いてぼんやり首を眺めていると、首は青竹に突き刺さって仔細あり気な顰《しか》めっ面、顔一面に血糊が凝《こ》って流れて灰色の雲低い空を背景《うしろ》に藤吉を見下ろしているところ、あまりに唐突と怪異が過ぎて、凄惨とか無残とかというよりも、場面に一脈の洒落気《しゃれけ》が加わり、そこには家なく町なく人もなく、あるのはただ首と藤吉とを一線に結ぶ禅味だけ、今にも首が大口あいて、わっはっは[#「わっはっは」に傍点]と咽喉の奥まで見せやしまいかと怪しまれる――。
押し潰したような静寂《しじま》。傘を打つ霙《みぞれ》。
と、つかつか[#「つかつか」に傍点]と進んだ藤吉、天水桶のこっちから腕を伸ばして竹を掴んだかと思うと、社前で鈴でも振るように二、三度揺すぶった。前屈み、左に傾《かし》いでいた生首が髪振り乱して合点がってんをするようにゆさゆさ[#「ゆさゆさ」に傍点]と動いて、背後に反った。思わずあっと叫んで人々は逃げ散る。無花果《いちじく》のような顎の下の肉、白い脂肪、断面《きりくち》あらわに首は危く竹の尖頭《さき》に留まっている。
「甚さん。」
藤吉が振り返った。
「発見《めっ》けたなあ誰だね。」
「あっし[#「あっし」に傍点]だ。」常吉が答える。「半時ほど前だから卯の上刻だ、親分も知ってなさるだろうが采女《うねめ》の馬場の中屋敷ね、あすこの西尾様お長屋の普請場へ面《つら》出しすべえとこちとら[#「こちとら」に傍点]早出だ、すたすた来かかってふい[#「ふい」に傍点]と見るてえとこの獄門じゃあねえか、いや、親分の前《めえ》だが、これにゃああっし[#「あっし」に傍点]も胆を潰したね。」
「何のこたあねえ、首人形だ。」
勘弁勘次が口を出した。すると弥次馬の中から、
「違えねえや。京名物は首人形とござい。」
と言う声がした。藤吉が見ると、色の浅黒い、遊人《あそびにん》風俗の見馴れない男が立っていた。
藤吉、別に気にも留めないと言ったようす。
「誰でえ、首は?」
「あ、それがさ。」と藤吉は耳の背後をかいて、
「桔梗屋さんと関係《かかりええ》があろうはずもねえし、どこの誰だか、からきし人別がつかねえ。もっともね、こう下から白眼《にら》めてるだけじゃあよく相好もわからねえが――」
「おうっ。」見物の遊人がまたしても茶利《ちゃり》を入れる。「おっ、誰かこの近辺に首を失くした者あねえかとよ。」
じろり[#「じろり」に傍点]と藤吉が男を見やる。勘次が囁いた。
「親分、あの野郎、勘弁ならねえ。」
「まあま、ええってことよ。」藤吉は笑った。「それよりゃ桔梗屋だ、いや、この首だ。」と藤吉を振り返って、
「のう、晒《さら》してもおけめえ。常さん、下してやんな。功徳《くどく》になるぜ。勘、われも手伝え。」
「あい。」
常吉と勘次、ただちに竹を外しにかかる。藤吉はずい[#「ずい」に傍点]と桔梗屋の店へ通った。
二
主人八郎兵衛と番頭、度を失って挨拶も忘れたものか、蒼褪《あおざ》めた顔色も空虚《うつろ》に端近の唐金《から》の手焙《てあぶ》りを心もち押し出したばかり――。
女子ども、と言ったところで内儀は先年死んでお糸という独り娘、固いというもっぱらの噂、これと下女と飯焚婆の三
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