だ。出張らざなるめえ。」
 顔見識りの朝湯仲間、あっちこっちから声をかけるなかを黙りこくった八丁堀合点長屋の目明し釘抜藤吉、対《つい》の古渡り唐桟《とうざん》に幅の狭い献上博多《けんじょうはかた》をきゅっと締めて、乾児の勘弁勘次を促し、傘も斜に間もなく紅葉湯を後にした。
「冷てえ雨だの。」
「あい、嫌《や》な物が落ちやす。」
 慶応二年の春とは名だけ、細い雨脚が針と光って今にも白く固まろうとする朝寒、雪意《せつい》しきりに催せば暁天《ぎょうてん》まさに昏《くら》しとでも言いたいたたずまい、正月|事納《ことおさめ》の日というから二月の八日であった。遅起きの商家で、小僧がはっはっ[#「はっはっ」に傍点]と白い息を吐きながら大戸を繰っていたり、とある家の物乾しには入れ忘れた襁褓《むつき》が水を含んでだらり[#「だらり」に傍点]と下って、それでも思い出したようにときどきしおたれ気にはためいていたりした。
 京の紅染めの向うを張って「鴨川の水でもいけぬ色があり」と当時江戸っ児が鼻を高くしていた式部好みの江戸紫、この紫染めを一枚看板にする紺屋を一般にむらさき屋と呼んで、石《こく》町、中橋、上槇《かみまき》町、芝の片門町など方々にあったものだが、中でも老舗《しにせ》として立てられて商売も間口も手広くやっていたのが岡崎町も八丁堀二丁目へ寄った桔梗屋八郎兵衛、これは日頃藤吉も親しくしている家、合点小路から海老床へ抜けるとつい[#「つい」に傍点]眼の先だ。虫の報《しら》せか藤吉勘次、近づくにつれて自然と足の運びが早くなった。
 通りへ出た。
 と見る、桔梗屋の店頭、一団の群集《ひとだかり》が円陣を描いて申し合せたように軒の端《はし》を見上げている。出入りの鳶《とび》らしいのや店の者が家と往来を行きつ戻りつして、いかさま事ありげ――。
 今は小走りに駈けながら、人々の視線を追ってその集まる一点へ眇《すがめ》を凝らした八丁堀、なにしろ府内に名だたる毎度の捕親《とりおや》だ、あらゆる妖異|変化《へんげ》に慣れきって愕くという情《こころ》を離れたはずなのが、この時ばかりはぎょっとした瞬間、前へ出る脚がいたずらに高く上って、親分藤吉、思わず一つ地面で足踏みした。
「勘の字、見ろ!」
「何ですい、ありゃあ?」
 立ち停まった二人を眼智《めざと》く発見《みつ》けた海老床甚八とに[#「に」に傍点]組の
前へ 次へ
全16ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング