いや、新刀《あらもの》試し辻斬の類を除《ぬ》かした土民人情の縺れから来る兇行の因に五つある。物盗《ものとり》、恐怖、貪慾、嫉妬《やきもち》、それから意趣返しと。伊兵衛の場合はあきらかに物盗ではない。現にぎっしり[#「ぎっしり」に傍点]詰った鬱金《うこん》木綿の財布の紐を首から下げて死んでいるのでも目的《あて》が鳥目《ちょうもく》でないことは知れる。恐怖というのは途端場《どたんば》での命のやり取りをさすものだが、伊兵衛を誰が襲ったとも考えられない。嫉妬と言ったところで、これには髱《たぼ》がなければ話にもならない。しからば貪慾か、というに、これはその人を亡くすることによって利を獲るとの義だが、草加屋伊兵衛は独身を通した一酷な老爺、後継《あととり》はもとより親戚《みより》縁辺《よるべ》もない。いや、たった一人、あるにはある。甥が槍屋町に住んで八百駒という青物|担売《かつぎうり》を営んでいるが、これとても出入りはおろか節季紋日の挨拶さえなかったらしい。とはいえ、そこにある八百駒と字の入った小田原提灯が、今となっては藤吉いささか気にならないでもないが――まず、なんと言っても踏外しのないところが、
前へ 次へ
全32ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング