彦、用が済んだら佐平次どん方へ――待ってるぜ。彦、如才《じょさい》あるめえが八百駒あやんわり[#「やんわり」に傍点]な。」
言うあいだにも遠ざかる親分乾児、裸体の二人は東西へ、藤吉佐平次は犬を追って、暴風雨のなかを三手に別れた。
四
御軍艦操練所に寄った肴店《さかなだな》のと[#「と」に傍点]ある露地、一軒の前まで来ると、甚右衛門は動かない。佐平次は顔色を変えた。藤吉が訊く。
「だれの住居ですい?」
「お心易く願っている御浪人で、へえ、なんでも以前はお旗下の御家来だとか――こわあい方で、いや、こりゃあ大変なことになりましたわい。」
「名は?」
「御家新《ごけしん》。逸見《へんみ》流の弓の名人だそうで、へえ。」
「なに、弓の名人? 御家新? ふうむ、やるな。」
藤吉は壺を伏せる手つきをした。うなずく佐平次を、甚右衛門とともに先へ帰らせておいて、藤吉、戸を叩いて案内を求めた。二間きりらしい荒れ果てた家、すぐに御家人くずれの博奕《ばくち》こき、あぶれ者の御家新が起きて来た。やたらに天誅ぐらいやりかねないような、いかさま未だ侍の角が落ち切れないところが見える。藤吉は気を配った。
「誰だ、なんだ今ごろ。」
気さくに開けたが、御用提灯を見ると、固くなった。藤吉はさっそく下手に出て、まず宵から今までの動きを訊いてみたが、御家新、口唇を白くして語らない。
いよいよ怪しい――弓一筋の家からぐれ[#「ぐれ」に傍点]出た小悪人、そう言えば矢文の筆つきも武張っていた。藤吉、抜いた時の要心をしながら、なおも一つ問を重ねて行った。すると御家新、苦しくなってか、こう申し立てた。
「今夜は友達の家へ行っていま帰ったところ、その友達は鋳かけ屋で、明石《あかし》町宗十郎店に住む佐平次という者だが、何の用でそんなことを訊くのだ。」
見え透いた虚言《うそ》、藤吉はにっこり[#「にっこり」に傍点]した。そしてなれなれしく、一本ずい[#「ずい」に傍点]と突っ込んだ。
「弓がおありかね?」
御家新はまた黙り込んだ。一筋繩ではいかない、こう観念した藤吉、驚いている御家新を残して、急ぎ帰路についた。
でたらめを吐いた以上、明朝と言わず今すぐに佐平次方へ口を合してくれと頼みに出かけるであろう、と思った藤吉、途中《みちみち》うしろを振り返って行くと、明石町の手前、さむさ橋の際へ来た時、は
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