もそのようでした。へい、あの玄内の野郎、話をしてても碁を打ってても、気が乗って来るとやたらめっぽうに自身の身体を指の先で押えたり、つまんだりいたしますので。が、どうして親分はそれを御存じですい?」
「まぐれ当りでごぜえますよ。」
 と藤吉は笑った。が、すぐと真顔に返って、
「――駿府《すんぷ》へずら[#「ずら」に傍点]かってる喜三《きさ》の奴が、江戸の真中へ面あ出すわけもあるめえ。待てよ、こりゃあしょ[#「しょ」に傍点]っとすると解らねえぞ。そっぽ[#「そっぽ」に傍点]を聞いても芝居を見ても――うん、ことによるとことによらねえもんでねえ。喜三だって土地っ児だ。いつまで草深え田舎のはしに、肥桶臭《こえたごくさ》くなってるわけもあるめえ――がと、してみると野郎乙にまた娑婆っ気を出しゃあがって、この俺の眼がまだ黒えのも知らねえこともあるめえに――。」
「喜三って、あの――。」
「しっ[#「しっ」に傍点]!」
 と伝二郎の口を制しておいて、
「今一つお訊きしてえこたあ、ほかでもねえが、伝二郎さん、その河内屋の隠居と玄内とを二人一緒に見たことが、お前さん一度でもありますのかえ?」
 伝二郎は首を横に振った。
「寮から家主の隠居所までは?」
「小一町もありますかしら。」
「裏から抜けて走って行きゃあ――?」
「さあ、ものの二分とはかかりますまい。」
「ふふん。」と藤吉は小鼻を寄せて、
「伝二郎さん、敵討ちなら早えがよかろ。今夜のうちに縛引《しょっぴ》いて見せる。親船に乗った気で、まあ、だんまりで尾いてくるがいいのさ。」
 御台場から帰ったばかりの勘弁勘次を、万一の場合の要心棒に拾い上げて、伝二郎を連れた藤吉は、みちみち勘次にも事件を吹き込み、宿場端れの泡盛屋《あわもりや》で呑めない地酒に時間を消し、すっかり暗くなってから、品川の廓街《くるわまち》へべつべつの素見客《ひやかし》のような顔をして銜《くわ》え楊枝で流れ込んで行った。
「喜三ほどの仕事師だ。あぶく[#「あぶく」に傍点]銭を取ったって、人眼につき易い大場所の遊びはしめえと、そこを踏んで此里《ここ》へ出張ったのが俺の白眼《にら》みよ。それが外れりゃあ、こちとら明日から十手を返上して海老床へ梳手《すきて》に弟子入りだ。勘、その気でぬかるな。」
「合点承知之助――だが、親分、野郎にゃ小指《れこ》がついてたってえじゃごせんか。してみりゃあ何もお女郎|買《け》えでもありますめえぜ。」
「引っこ抜きと井戸の鬼火か、へん、衣裳を付けりゃあ、われ[#「われ」に傍点]だって髱《たぼ》だあな。それより、御両所、切れ物にお気をつけ召されい――とね、はっはっは、俺の玄内はどんなもんでえ。」
 華やかな辺りの景色に調子を合わせるように、藤吉はひとり打ち興じていた。黄色い灯が大格子の縞を道路へ投げて人の出盛る宵過ぎは、宿場ながらにまた格別の風情を添えていた。吸いつけ煙草に離れともない在郷《ざいごう》の衆、客を呼ぶ牛太の声《こえ》、赤絹《もみ》に火のついたような女たちのさんざめき、お引けまでに一稼ぎと自暴《やけ》に三の糸を引っかいて通る新内の流し、そのなかを三人は左右大小の青楼へ気を配りながら、雁のように跡を踏んで縫って行った。
 二、三度大通りを往来したが無駄だった。伝二郎も勘次も拍子抜けがしたようにぽかん[#「ぽかん」に傍点]としていた。藤吉だけが自信を持続していた。足の進まない二人を急き立てるように、藤吉が裏町へ出てみようと、露地にはいりかけたその時だった。四、五人の禿新造に取り巻かれて、奥のとある楼《うち》から今しがた出て来た兜町らしい男を見ると、伝二郎は素早く逃げ出そうとした。
「どうした?」
 と藤吉はその袖を掴んだ。
「あれ[#「あれ」に傍点]です!」
 伝二郎は土気色をしていた。
「違えねえか、よく見ろ。」
「見ました。あれです、あれです。」
 と伝二郎は意気地なくも、ともすれば逃げ腰になる。火照《ほて》った頬を夜風に吹かせて、男は鷹揚《おうよう》に歩いて来る。
「よし。」
 釘抜藤吉は頷首《うなず》いた。
「勘、背後へ廻れ、めったに抜くなよ――おう、伝二郎さん、訴人が突っ走っちゃいけねえぜ。」
 苦笑と共に藤吉は、死んだ気の伝二郎を引っ立てて大胯《おおまた》に進んだ。ぱったり出遇った。
「大須賀玄内!」
 と藤吉が低声で呼びかけた。欠伸《あくび》をして男は通り過ぎようとする。
「待った、河内屋の御隠居さま!」
 言いながら藤吉はその前へがたがた[#「がたがた」に傍点]震《ふる》えている伝二郎を押しやった。顔色もかえずに男は伝二郎を抱き停めた。
「おっと、これは失礼――。」
「喜三郎。」と藤吉は前に立った。「蚤取《のみと》りの喜三さん、お久し振りだのう。」
 ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として男
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