銭《かね》で転んだ親類たちが取って押さえて、無理往生に輿入れさせようというある日の朝、思い余ったお露は起抜けに雨戸を繰ってあたら十九の花の蕾《つぼみ》を古井戸の底深く沈めてしまった。と、それと同時に抜地獄の秘密の仕掛けも、三千両というその大金も、永劫《えいごう》の暗黒《やみ》に葬《ほうむ》り去られることになった――とこういう因果話のはしはしが、お露の亡霊からいつ果てるともなく、壁へ向って呟《つぶや》かれるのであった。
伝二郎はぐっしょり[#「ぐっしょり」に傍点]汗をかいて固くなっていた。恐ろしさを通り越して自分でもなんとなく不思議なほど平静になっていた。ただ、三千両という数字が彼の全部を支配していた。これだけたんまり手に入れて見せれば、養家の者たちへもどんなに大きな顔ができることか、一朝にして逆さになる自分の地位を一瞬の間に空想しながら、焼きつくように彼は女の肩ごしにその壁の面を睨んでいた。が、眼に映ったのは堆高《うずだか》い黄金の山であった。もうふところにはいったも同然な、その三千両の現金であった。彼も亦商人の子だったのである。
と、女が立ち上った。細い身体が煙のように揺れたかとおもうと、枕頭の障子を音もなく開け閉てして、そのまま縁側へ消えてしまった。出がけに伝二郎を返り見て、にっ[#「にっ」に傍点]と笑ったようだった。改めて夜着の下深くに潜って、彼は知っているかぎりの神仏の名を呼ばわっていた。が女が出て行くや否や、がばと跳ね起きて壁の傍へ躙《にじ》り寄った。気のせいかそこだけ少し分厚なように思われるだけで、外観からは何の変異も認められなかった。が、水を浴びたように濡れていたあの女が今の今までいたその畳に、湿り一つないことに気がつくと、きゃっ[#「きゃっ」に傍点]と叫びながら伝二郎は狂気のように床へ飛んで帰った。耳を澄ますと玄内の寝息が安らかに洩れて来るばかり、暁近い寺島村は、それこそ井戸の底のように静寂《せいじゃく》そのもののすがたであった。
朝飯を済ますと同時に、挨拶もそこそこに寮を出て、伝二郎は田圃を隔《へだ》てたほど近い長屋に、寮の所有者河内屋の隠居を叩き起した。思ったより話がはかどらなかった。その家は元八重洲河岸の叶屋のものだったが、ながいこと無人だったのをこの隠居が買い取ったものだとのことで、大須賀玄内殿に期限もなしに貸してあることではあり、かつ
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