へ入れいれしていた。古井戸の底には、いつも一人や二人の若い女の屍体が転がっていないことはなかった。庭の土からは埋めた頭髪《かみのけ》が現れて、雨風に叩かれていた。
 天狗の業、神隠し、こうした言葉がさかんに行われ始めたのも町年寄の一人たる磯屋平兵衛がその流言《りゅうげん》の元締だったことは言うまでもないが、率先して庄助屋敷前にあの高札を建てて人心を眩まそうとしたその画策も皆おりんの指金であった。
 磯屋の品は好評を博した。それにつれて、天狗の横行もはなはだしくなった。が、一人ではああも多勢掠められるわけがない。実際、平兵衛が街上《まち》や路地の奥で女を押さえようとする時には、風のようにおりんの姿が立ち現れて金剛力を藉したという。あるいはそれは平兵衛にだけ見える幻であったかもしれない。犠牲《いけにえ》の数が重なるにしたがい、此紙《これ》を始終懐中にして供養の呪文を口誦するようにと、おりんは平兵衛へ「一郎殿より三郎殿、おそれありや」の彼の文言を書き与えたのであるという。
 で、今日はかのと[#「かのと」に傍点]の酉の日。
 四日前に入れた二つの屍だけを井戸から釣り上げておいて、平兵衛は朝早
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