ったく生きているおりんであった。お前さん一人を置いてはどこへも行けない、あたしゃもう怒るどころかふつふつ[#「ふつふつ」に傍点]喧嘩をしない心願を立てた、その証《あか》しには二人で、せいぜい稼業を励もうと、これ、こうやって途中から引き返して来たではないか――おりんは言った。平兵衛はただ身に沁みてありがたかった。手を取って泪を流して喜び合った。
 おりんが変なことを言い出した。つれの亡者から聞いたことだが、人肉は非常に香ばしくて歯切れがいいからこれを少しずつ蒲鉾へ混ぜたら、というのである。それも酉年生れの若い女の肉を酉の日に煮るにかぎる、幸いあたしは天保八の酉、あたしの骸《むくろ》はまだあの井戸の底にあるはずだから、後日《のち》とはいわず即刻《いま》にも引き上げて明日の酉の日の分に入れてみようじゃないか――と。
 平兵衛は疑った。人肉|云々《うんぬん》よりも井戸の中に屍体があるということを疑ったのである。が、この新しいおりんにはどこかに冒し難い怪しい気が立ち迷っているので、逆らうこともできず、平兵衛は黙っておりんに随いて戸外へ出た。
 おりんの屍体は平兵衛が投げ入れたとおりになっていた。
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