る》の方角、背戸口の暗黒《やみ》に勘次を忍ばせておいて、藤吉は彦を引具し、案内も乞わずにはいり込んだ。
 土間の広い仕事場、框《かまち》の高い店、それから奥の居間から小座敷と、たがいに不意の襲撃を警《いまし》めあいながら一巡りしたが、仕事場も住居家も綺麗に片づいて人のいる様子もない。蒲鉾だけは拵えた跡も見えたが、なにもかも洗い潔められて、一日の業の終ったことを語っていた。
「ちぇっ、ずらかったか。」
 彦が歯を噛んだ。
「そうさの――や、ありゃあ[#「ありゃあ」に傍点]何だ、あの音!」家の横手に当って軽く地を踏むひびき。
「勘|兄哥《あにい》じゃねえかしら。」
「勘が持場あ外すわけあねえ。」
 木枯に鳴る落葉と言おうか、家路を急ぐ瞽女《ごぜ》の杖といおうか、例えば身軽な賊の忍ぶような。
「開けて見べえ。」
 内にも忍ぶ二人、抜足差足縁側へ出て、不浄場近い一枚をそう[#「そう」に傍点]っと引いた。
「灯を消せ。」
 真の暗黒。
 透かして見る。夜は、下から見上げるようにすれば空明りに浮び出て物の姿《かたち》がはっきりする。
「犬だ※[#逆感嘆符、1−9−3][#「※[#逆感嘆符、1−9−3]」はママ] お、白え犬だぞ!」
「ややっ、昼間の野良犬、頬を銜えた――。」
「しいっ!」
 と低声。なおも凝視《みつめ》る。
 犬は、白犬は、垣について土を嗅ぎ嗅ぎ、裏へ廻って小庭の隅を掘り出した。心得た場所と見えて逡巡《ためらい》もしない。
 潮時を計った藤吉。
「彦!」
「わあっ!」
 と、犬を脅すため、大声揚げて飛び出した。消しとぶように犬は逃げる。その後に立った二人、犬の穿った穴をじい[#「じい」に傍点]っと睨んでとみには声も出なかった。
 穴の周囲一尺ほどの土を埋めて、水雲《もずく》のように這い繁っているのは、星を受けて紫に光る他《た》なし漆の黒髪!
「――――」藤吉。
「――――」彦兵衛。
 と、この刹那、けたたましい勘次の声が闇黒を衝いて背戸口から、
「お、親分、出た、出た、出た!」

      五

「あれが。」
 勘次の指す背戸口に地底から洩れる青白い光りが、土塊《つちくれ》を隈取ってぼう[#「ぼう」に傍点]っと霞んで、心なしか地面が少し盛り上っている。藤吉はつかつか[#「つかつか」に傍点]と進んでその上に立った。足から膝まで光線に浸って、着ている物の柄さえ読め
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