燈心の音、与惣次は首を廻《めぐ》らした。身の自由も今は幾らか返ったらしい。が、起き上ることはできなかった。枕から見渡す畳の上、羽虫の影が点々としている下に、倒屏風《さかさびょうぶ》が立ててあるのが、第一に与惣次の眼に入った。寝ている敷物はいつしか荒筵《あらむしろ》に変っている。瞳を凝らしてなおも窺えば、枕に近い小机に樒《しきみ》が立ち、香を焚き、傍には守刀《まもりがたな》さえ置いてあり、すこし離れて、これは真新しい早桶、紙で作った六|道銭形《どうせんがた》まで揃っている工合い。
「こりゃあひょっ[#「ひょっ」に傍点]とすると知らねえ中に俺あ死んだのかな。」
 与惣次は思った。「それにしてもいやに手廻しが早えこったが――。」
 唐紙が開いて女がはいって来た。与惣次を見て驚いている。手を上げて何かの合図。続いて主人が現れた。湯呑を持っている。そしていきなり、馬乗りに股がったかと思うと、手早く煎薬のような物を与惣次の口へ注ぎ込んだ。
 氷である。
 氷の山、氷の原、氷の谷、空々漠々たる氷の野を、与惣次は目的《めあ》てなく漂泊《さすら》い出した。時として多勢の人声がした。荒々しい物音もした。簀
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