なるほどな、ありそうなこった。」
つくねんと腕組した藤吉、
「だがしかし家財道具まで引っ浚えてのどろん[#「どろん」に傍点]たあ――?」
「ち[#「ち」に傍点]と腑に落ちやせんね。」彦兵衛が引き取る。「なんぼ朱総《しゅぶさ》が嫌えだっていわば蝉の脱殻だ、そいつを担いで突っ走るがものもあるめえに。」
「のう常さん。」藤吉はにやり[#「にやり」に傍点]と笑って、「死んだと見せて実のところ、なんて寸法じゃあるめえのう、え、おう?」
が、相応巧者な三吉が腕利きの乾児を励まして裏返したり小突いたり、長いこと心《しん》の臓《ぞう》に耳を当てたりしたあげく、とど遺骸と見極めたのだから、よもやそこらに抜かりはあるまい、常吉はこう言い張った。
「姐御ってのが食わせ物さね。しかし親分、いい女だったってますぜ。」と見て来たように、「お前さんの前だが、沈魚落雁閉月羞花《ちんぎょらくがんへいげつしゅうか》、へっへ、卍って野郎も考えて見りゃあ悪党|冥利《みょうり》の果報者――ほい、えらく油あ売りやした。」
しゃべるだけしゃべってしまうと、何ぞ用事でも思い出したか、ぴょこり[#「ぴょこり」に傍点]と一つおじぎをしてに[#「に」に傍点]組はさっさと座を立った。
後に残った藤吉、彦兵衛と顔が会うと苦り切って呟いた。
「死《くたば》っても世話の焼ける畜生だのう。」
何か彦兵衛が言おうとする時、紅葉湯《もみじゆ》へ行っていた勘弁勘次が、常吉と入れ違いに濡手拭を提げてはいって来た。
「親分え。」
と立ったままで、
「変なことがありやすぜ。」
「何だ?」
「今日は十一日でがしょう。」
「うん。」
「明日は王子の槍祭《やりまつり》。」
「それがどうした?」
「あっしの友達に小太郎ってえ小物師《こものし》がいてね――。」
「まあさ、据われよ、勘。」
勘次は坐った。すぐに続ける。
「神田の伯母んとこでの相識《しりあい》だから親分も彦も知るめえが、今そこでその小太郎に遭ったんだ。」
「なにも異なこたあねえじゃねえか。小物師だろとぼく[#「ぼく」に傍点]だろと、二本脚がありゃあ出て歩かあな。」
ちょっと膨れた勘次はあわてて説明にかかった。この先の五丁目次郎兵衛|店《だな》に同じく小物渡世で与惣次《よそうじ》という四二《やく》近い男鰥《おとこやもめ》が住んでいて、たいして別懇でこそなけれ、藤吉も彦兵衛も勘次も朝夕顔を見れば天気の挨拶位は交す仲だった。
土地から蝋燭代を貰って景気を助《す》けに出る棟梁株《あたまかぶ》の縁日商人に五種あって、これを小物、三寸、転び、ぼく、引張《ひっぱり》とする。小物とは大傘を拡げかけてその下で駄菓子飴細工の類を売る者、三寸とは組立屋台を引いて来て帰りには畳んで行く者、転びとは大道へ蓙《ござ》を敷いて商品を並べるもの、ぼく[#「ぼく」に傍点]というのは植木屋、引張とあるは香具師《やし》のことである。与惣次はこの小物師であった。
今のさき、湯帰りの勘次がこの与惣次の家の前を通ると、神田の小太郎がしきりに雨戸を叩いている。立話しながら訊いてみると、明日の王子神社の槍祭を当て込み、今日の暮方に発足して夜通し徒歩《てく》ろうという約束があって、仲間同士のよしみから廻り道して誘いに寄ったという。見ると板戸は閉切《たてき》ってあるものの内側《うち》から心張《しんばり》がかかっている様子がまんざら無人とは思われない。朝ならともかく午下りも老いたころ、ついぞないことなばかりか、用意洩れなく準《ととの》えて待ち受けていべきはずの与惣次が――? 小太郎は首を捻って、勘次ともどもまた激しく戸を打ったが、何の応《いら》えもない。業《ごう》を煮やした小太郎は舌打ちして行ってしまった。ただこれだけの事件《こと》ではあるが、いそうで開けないのを不審と白眼《にら》めば臭くもある。
「ついそこだ、親分、ちょっと出張って検てやっておくんなせえ。あっし[#「あっし」に傍点]ゃや[#「や」に傍点]に気になってね、どういうもんだかいても立ってもいられねえんだ。」
「莫迦っ。」藤吉が呶鳴った。「寝込んででもいるべえさ。が、奴、待てよ。」と思い返したらしく、
「どこでも叩きゃあちったあ埃りが立とうというもの。なにも胸晴《むなばら》しだ、勘の字、われも来るか。」
勘弁勘次と並んでぶらり[#「ぶらり」に傍点]と合点小路を立出でた釘抜藤吉、先日来の富五郎捜しで元乾児の影法師三吉に今度ばかりは先手を打たれたこと、おまけに途端場《どたんば》へ来て死人に足でも生えたかしてまたしても御用筋が思わぬどじ[#「どじ」に傍点]を踏んだこと、これらが種となって、一脈の穏やかならぬものがその胸底を往来していたのも無理ではなかった。
稲荷の小橋を右手に見て先が幸い水谷町、その手前の八丁堀五丁目を河岸
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