まさにしかり、なるほどあいつの雁首《がんくび》はあっし[#「あっし」に傍点]と瓜二つだった。して、旦那、昨夜あの家にお手入れでもありましたのかえ。」
「そりゃあお前がいっち[#「いっち」に傍点]御存知――。」
「へ? そう言やあ騒々しい音がしたのを夢か現《うつつ》に聞きましたが。」
「与惣さん、お前その五両のうちから常さんの借銭を返したらどうだ?」
「へえ、さっそくそういうことに致しましょう。」
「勘!」
 と戸口へ向いた藤吉は、
「大立廻りだ、手強えぞ。」
 一言吐いて与惣次を見据え、太い低声で、
「与惣、丸坊主たあ化けたのう?」
「へ?」
「いやさ、富さん、卍の富、うまくやったぜ、おう。」
「旦那――。」
「待った! その旦那がよくねえ。真の与惣なら俺を知ってるはず、こうっ、素っ堅気じゃあるめえし皆さん俺を親分とこそ呼べ、旦那なんて糞|面《おも》ひろ[#「ひろ」に傍点]くもねえ。えこう、種あ割れたんだ、富、年貢を納めろっ、野郎っ、どうだっ!」
「だ、だ、誰だ手前は?」
「唐天竺の馬の骨。」
「う――む。」
 面色|蒼褪《あおざ》めて富五郎、壁を背負って仁王立ち。
「卍の富五郎。」にやり[#「にやり」に傍点]と笑った藤吉、「釘抜だ、藤吉だ、神妙に頂戴するか。」
 ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と昇《あが》った灰神楽《はいかぐら》、富五郎が蹴った煙草盆を逃げて跳り上った釘抜藤吉、足の開きがそのまま適《かな》ってお玉が池免許直伝は車返《くるまがえ》しの構え。
「洒落《しゃら》くせえ。」
「うぬ!」
 どこに隠し持ったか、西京達磨《さいきょうだるま》の名《な》ばかり正宗《まさむね》、富五郎の手にぎらり[#「ぎらり」に傍点]鞘《さや》を走る。
「抜いたな。」
「応《おう》さ。」
 呼吸と呼吸、眼配りと眼配り――面倒と見た勘弁勘次、物を打つければ中間へ飛んで邪魔になるから、かねての心得、空拳を振って抛る真似、逆上《あが》っているから耐らない、卍の富五郎|法《ほう》を忘れて切ってかかる。掻い潜った藤吉、
「御用だ!」
 と一声、懐深く呑んだ十手がはっしと唸って肩を撃つ。よろめく富、畳に刺さった斬先を立て直そうとする間一髪、物をも言わず齧りついた鉄火の勘次、游《およ》ぐ体を取って腰で撥ねるのは関口流の岩石落《がんせきおと》しだ。卍の富五郎そこへ長くなってしまった。
 長屋中の弥次馬の波を分けて、橋詰のお番屋へ富五郎を縛引《しょっぴ》いた藤吉と勘次、佃《つくだ》にかかる新月の影を踏んで早くも今は合点小路へのその帰るさ。
「割方|脆《もれ》え玉さのう。」
 先に立った藤吉が言う。追いついた勘次、
「だが親分、器用な細工じゃごわせんか。あっしなんか切れへくるまで与惣公とばかり思い込んでた。」
「九仭《きゅうじん》の功を一簣《いっき》に虧《か》く。なあ、そのままずらか[#「ずらか」に傍点]りゃ怪我あねえのに、凝っては思案に何とやら、与惣公と化込《ばけこ》んで一、二日|日和見《ひよりみ》すべえとしゃれたのが破滅の因、のう勘、匹夫《ひっぷ》の浅智慧《あさぢえ》、はっはっは。われから火に入る夏の虫だあな。」
「夏の虫あいいが、真《まこと》の与惣あどうなりましたえ?」
「はあてね、大川筋から隅田の淀でも今ごろあせっせ[#「せっせ」に傍点]と流れていべえが、ぶるる[#「ぶるる」に傍点]っ、酷《むげ》えこった。それにしても小物師どん、常日《じょうじつ》口が軽すぎるわさ。」
 万事が富五郎の白状ではっきりした。
 卍の富五郎に似も似たところから女に眼をつけられたのが百年目、誘われるままその隠家へ行った与惣次は、酒に羽目《はめ》を外《はず》してさんざん自身のことをしゃべった後、一服盛られて宵の内にあの世へ行ったのだった。したがって、影法師三吉が検めた新仏《しんぼとけ》はいうまでもなく代玉《かえだま》の与惣次であった。これで悪党夫婦が逐電してしまえば富五郎の死骸が見えずなったというだけのことで一件は忘れられたかもしれないが、そこは虎の尾を踏みたい妙な心持と、一つには与惣次失踪から足のつくことを懼《おそ》れて、与惣次の内輪話を資本に、頭を剃って夢物語に箔を付け、女房の一筆と高飛の路銀を持って余熱《ほとぼり》の冷める両三日をと次郎兵衛店に寝に来たところを、その坊主頭と旦那旦那という呼言葉と、絶えず光を背にしようとした心遣い、最後に常吉への借銭《かり》云々《うんぬん》の鎌掛けでさすがの悪も釘抜親分の八方睨みに見事見破られたのであった。
 家財を纏めて熊谷在の知人方《しりびとがた》に良人《おっと》を待っていた女房のお若も間もなく御用の声を聞いた。
 翌る十二日の槍祭、お米蔵は三吉の渡し、松前志摩殿の切立石垣《きりだていしがき》に、青坊主の水死人が、それこそ落葉のように笹舟のよう
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