のどこにも見られなかった。毛の付いた皮肌《かわ》、饂飩《うどん》のような脳髄《のうみそ》、人参みたいな肉の片などがそこら中に飛び散って、元結《もとゆい》で巻いた髷の根が屍骸の手の先に転がっていたりした。よほど強力の者が、何か重い鋭い刃物でただ一撃に息を絶やしたものらしいことは、目明し藤吉をまたなくても、誰にでも容易に想像された。それほど惨憺《さんたん》たる光景を呈していた。
蔵の前に、勘次を立番に残して、藤吉と彦兵衛は泥足のまま屍体の傍へ上り込んだ。その足許にある一足の高足駄、彦兵衛は早くもそれへ眼をつけた。
「親分。」
「うん、合わしてみろ。」
彦兵衛は足駄を持って出て行った。藤吉はしゃがんだ。独言がその口を洩れた。
「雨の中を帰って来たか――三時は経ったな。」
そして頭部の大傷にはたいした注意も払わずに、仰向加減に延びた仏の頸に、藤吉はじっ[#「じっ」に傍点]と、瞳を凝らした。そこに、たとえば縊《くび》れたような赤い痕が残っていて、なおよくみると、塵のような麻屑が生毛《うぶげ》みたいに付着《つ》いている。藤吉は顔を上げた。その口は固く結ばれていた。その眼は異様に輝いていた。
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