げて来た無頼漢《ならずもの》の情夫《まぶ》を心から怖がっていたからであったという。その男が、今日このごろはいっそう兇暴になって、随全寺の一件なぞを嫉妬《やっかみ》出《だ》し、毎日のように付け廻しては同棲を迫るが、自分はもうあんな男にはこりごりだと、いつかも寝物語に所化へ洩したとのこと。
昨夜も昨夜とて和尚の留守を幸い、寺男佐平の手引きで忍んで来る手筈になっていたが――。
「それがまあ、こんなことになろうとは――。」
僧は眼に涙を浮べて手の数珠を爪探《まさぐ》った。
「お葬えはお手のもんだ。まあ、せいぜい菩提《ぼでえ》を――と、それよりゃあ、のう、佐平どんとやら、お寺に昨夜紛失物がありやしたのう?」
提灯屋に小突かれて、佐平は黙って頷首いた。声も出ないとみえる。
「盗人がはいったのけえ?」
佐平は首を縦に振った。
「締りを忘れたな?」
佐平は頭を下げた。
「盗られた物を当てて見しょうか――菜切りだろう、え、おう、菜葉庖丁だろう。」
「へえ。」
と佐平が答えた時、山王旅所へ近い亀島町の薬種問屋近江屋へ使いに行った葬式彦が、跫音もなく帰って来た。
「現場で聞いたら親分はこの寺にいなさるってんで、親分、奴あ近江屋へ行ったに相違ねえぜ。」
「うん、牛蒡《ごぼう》買《か》いにか。」
「あい、牛蒡の干葉《ひば》と黒焼の生姜《しょうが》――。」
「鑑識《めがね》通りだ、はっはっは、彦御苦労だったのう。」と藤吉は哄笑して、
「そこで、佐平どん、お前に訊くが、今朝、墓場の向うの木の下でお新さんの屍骸を見つけ、この坊さんや引いては自身が、寺社方《じしゃかた》の前へ突ん出されめえと、これ、この棒で、」と手の青竹を振って見せて、「屍骸の上に覆せてあった小枝を払い、仏を石垣から蹴落して半兵衛さんを決め込んでたなあ、足袋の鞐《こはぜ》と言い、それ、お前のぱっち[#「ぱっち」に傍点]の血形といい、佐平どん、あっしゃあ[#「あっしゃあ」に傍点]、お前の業《わざ》と白眼《にら》むがどうでえ?」
佐平は首垂《うなだ》れて股引の血を見詰めながら、
「へえ、森元町から新棺《あらかん》の入りがあるちゅうこって、今朝七つ半過ぎに俺が墓あ掃除に出張りましたところが――。」
「お新!」若い納所《なっしょ》が狂気のように叫び出した。「おほ、お、お――しん!」
「屍骸は原っぱだ。」憮然《ぶぜん》として藤吉が言った。「見る気があったら見ておやんなせえ。」
顫える足に下駄を突っかけて、若僧はべそ[#「べそ」に傍点]を掻いて、駈け出そうとした。提灯屋が押えた。
「殺された女の情夫ってえのを、あんたは見たことがありますかえ?」
「見たことはありません、見たことはありません。」
「提灯屋、放してやれってことよ。」藤吉が嘯いた。「犯人なら先刻引き揚げてあるんだ。」
と、その言葉の終らないうちに、
「親分。」
裏口に大声がして、五尺八寸の勘弁勘次の姿が浮彫のようにぬう[#「ぬう」に傍点]っと現れた。
「勘か? 首尾は?」
「上々吉でさあ。」と弥造を振り立てて、「二つ三つ溜りを当るうちに、三軒家町の真中でぱったり出遇った。」
「今朝の癩病人《かってえぼう》にか?」
「あいさ。」
「うん。」
「あん[#「あん」に傍点]畜生、あんな面になりゃがったもんだから、秋月佐渡様のお部屋からずら[#「ずら」に傍点]かってくるところを、勘弁ならねえと掴めえて町内組へ預けて来やした。」
「風呂敷包みを抱えてたろう?」
「へえ、牛蒡の――。」
「干葉《ひば》と生姜《しょうが》の黒焼。」
と彦兵衛が後を引き取る。眼をぱちくり[#「ぱちくり」に傍点]させて勘次は黙った。
「ちったあ噛んだか。」と藤吉が訊く。
「なあに。」
手の甲の傷を舐めて勘次は笑った。
「番屋じゃあ引っ叩いて来たか。」
「へえ、あっさりとね。だが、親分、先様《さきさま》あ真悪《ほんわる》だ、すぐと恐れ入りやしたよ。へえ、あんまり骨を折らせずにね。」
「でかした。」
と一言いった藤吉は、さっさ[#「さっさ」に傍点]と戸外へ歩き出しながら、「昨夜、寺の門の傍でお新を待伏せ、坊さんとの手切れ話を持ち出したがお新がうん[#「うん」に傍点]と言わねえので、坊さんをつれ出しに庫裏へはいりこんだものの、闇黒《くらがり》で庖丁《ほうちょう》を掴んで気が変ったと吐かしたか。」
「へえ、そのとおりで。それから――。」
「それから先は見たきり雀よ。なあ、墓でお新に引導渡し――。」
「ええっ!」
提灯屋始め、佐平も彦兵衛も愕然として藤吉の背後《うしろ》姿を凝視めた。藤吉は振り返って、
「その癩病人てえのがお新女郎の情夫よ――森元町の他に新仏《にいぼとけ》がもう一つ、いやさ、二つかも知れねえ。佐平どん、お忙しいこったのう。」
火消しの一人があたふ
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