裏の土間へはいると、突然、釘抜藤吉は破鐘《われがね》のように我鳴り立てた。
「寺社奉行の係合いを懼《おそ》れてか、それとも真実《まこと》和尚さんに暗え筋のあってか、ま、なんにしても、縁あらばこそ墓所で旅立った死人を、石垣下へ蹴転がすたあ、あまりな仕打ちじゃごぜえませんか。もし、あっし[#「あっし」に傍点]ゃあ八丁堀の藤吉でがす。」
 海の底のように寂然《しいん》としたなかで、藤吉の声だけが筒抜けに響く。はらはら[#「はらはら」に傍点]した提灯屋が思わず袖を引いた。
「親分――。」
「まあ、こちとらの方寸《むね》にある。」と、藤吉はまた一段と調子を上げて、
「不浄仏たあ言い条――おうっ、無縁寺ですかい? どなたもおいでにならねえんですかい?」
「はい、はい。」
 と、この時、力なく答えて奥の間から出て来たのはまだ年若い所化、法衣の裾を踏んで端近く小膝をつく。
「はい、仏間深く看経中《かんきんちゅう》にて思わぬ失礼――して何ぞ御用でござりまするか。」
「御住持は?」
「森元町の方に通夜に参って、昨夜五つ時から不在でござりまする。」
「五つ?」
「はい。」
「御住持のお姓名は?」
「下田|日還《にっかん》と申しまする。」
「あっし[#「あっし」に傍点]ゃあ御覧のとおりのやくざ[#「やくざ」に傍点]者、ものの言い方を知らねえのは御免なせえよ。」と藤吉もぐっ[#「ぐっ」に傍点]と砕けて出て、「つかねえことを訊くようですが、こいつあいってえどなたんですい?」
 囲炉裏の傍に乾してある紺足袋を手に取ると、若僧の前へぽいと無造作に抛り出しながら、藤吉はこう言って相手の表情を読もうとした。
「はて異なお質問《たずね》――だが、見まするところこの足袋は――。」
 と眺めていたが、ふと顔を上げて、
「この足袋に何か御不審の筋でもあって――?」
「鞐《こはぜ》が一つありますめえ。」
 藤吉は鼻の先で笑った。
「なるほど、右のが一つ脱れております。」
「ここにある。」袂を探って、彦兵衛の拾った小さい金物を手の平へ載せると、そのまま所化《しょけ》の前へ突き出して、
「これでがしょう、他のといっち[#「いっち」に傍点]合《え》えましょうが。」
「どうしてそれがあなたの手に?」
「ついこのむこうの空地に落ちてやしたよ。」
「空地? と申せば石垣下の――?」
「おうさ、死骸の傍に。」
 と聞いて思わずきっとなった提灯屋は、一歩前へ詰め寄った。が、出家は怪訝《けげん》な面持ち。
「屍骸――とは何の死骸?」
「へえ、お新さんの屍骸で――。」
「えっ! あの、お新!」
「のう、誰の足袋だか聞かせて下せえやし。」
「はい、足袋はたしかに寺男佐平の所有《もの》。」
「佐平どんはどこに?」
「あれ、今し方までそこらに――佐平や、これ、佐平や。」
 炭俵なぞの積んである一隅に、がさがさ[#「がさがさ」に傍点]という人の気配がした。
「お!」
 藤吉は素早く眼くばせする。心得た提灯屋が、飛んで行ったと思う間もなく、猫の仔みたいにひきずり出して来た小柄の老爺、言うまでもなく随全寺の寺男佐平であった。
「野郎逃がしてなるか。」有頂天《うちょうてん》になった提灯屋亥之吉が、なおも強く佐平爺の腕を押えようとすると、
「こう、提灯屋、ここは寺内だ。滅多な手出しをしてどじ[#「どじ」に傍点]踏むなよ。」
 とにやにや[#「にやにや」に傍点]しながら、また藤吉は僧へ向き直って、
「この人が佐平どんで足袋の主、さ、それはそれとしてもう一つ伺いてえのは、お新[#「お新」に傍点]と呼捨てにするからにゃあ、彼の姐御とこの寺との間柄――。」
「はい。」と若い僧侶は顔色も蒼褪《あおざ》めて、
「はい、もうこうなりますれば、何事も包まず隠さず申し上げますが。」
「うん、好い料簡《りょうけん》だ。」
「実は、面目次第もござりませぬが、親分さま、実のところ――。」
 と打ち開けた彼の話によると、若い身空で朝夕仏に仕える寂しさから、いつしか彼は笠森稲荷の茶屋女お新と人眼を忍ぶ仲となり、破戒の罪に戦《おのの》きながらも煩悩の火の燃えさかるまま、終いには毒食わば皿までもと住職の眼を掠めては己が部屋へ引き入れ、女犯《にょぼん》地獄の恐しい快楽《けらく》に、この頃の夜の短かくなりかけるのをうたた託《かこ》っていたのであった。
 元来お新という女は江戸の産れでなく、大宮在から出て来て間もないとのことだったが、田舎者にしてはちょっと渋皮の剥《む》けたところから、茶屋を出す一、二日うちに早くも引く手|数多《あまた》の有様だったけれど、根が浮気者にも似ずそれらの男を皆柳に風と受け流していたのは、当初の悪戯気からだんだん深間へ入りかけていたとは言えけっして随全寺の若僧にばかり女を立てていたからではなく、全くは、大宮から一緒に逃
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