いかけたが、大声で背後の若者へ、
「なあ、おい、それに違えねえなあ。」
「俺あちょっと前を通っただけだが、どうもあの姐さんにそっくり[#「そっくり」に傍点]だ。」
若者は仏頂面《ぶっちょうづら》で答えた。藤吉は化石したように突っ立ったきり――人々はその顔を見守る。
「色恋沙汰ってところがまず動かねえ目安でげしょう?」
と提灯屋が再び沈黙を破った。
「――――」
「心中の片割れじゃごわせんか。」
「――――」
「物盗りじゃありますめえの?」
「――――」
口をへ[#「へ」に傍点]の字に結んで、藤吉は眼を開こうともしない。提灯屋も黙り込んで終った。と、うっとりと眼を開けた藤吉は、忘れ物をした子供のように屍体の周りを見廻していたが、
「履物は? 仏の履物は?」
「へえ、ここにごぜえます。」
町役人手付の一人がうろたえて取り出して見せる黒塗の日和《ひより》へ、藤吉はちら[#「ちら」に傍点]と眼をやっただけで、
「雨あ夜中の八つ半から降りやしたのう?」
「へえ。」誰かが応ずる。
「勘。」と、藤吉がどなった。「手を貸せ。」
勘次が屍骸を動かすのを待ちかねたように、女の背中と腰の真下へ手を差し入れて土を撫でた藤吉は、すぐその手で足許の大地を擦って湿りを較べているらしかったが、つ[#「つ」に傍点]と顔を上げた時には、すでに、八方睨みといわれたその眼に持って生れた豁達《かったつ》さが返っていた。
「小物は小物だが匕首じゃねえぞ。」誰にともなく彼は呻いた。
「出刃でもねえ。菜切りだ、菜切庖丁だ。人を殺すに菜葉切りのほかに刃物のねえような、こう彦、手前に訊くが、精進場はどこだ、え、こう?」
「へへへ。」彦兵衛は笑った。「寺さあね。」
「図星だ。」
藤吉も微笑んだ。一同は驚いた。そして、次の瞬間には、申し合せたように石垣を越えて随全寺の瓦屋根へ視線を送った。烏の群が空低く鳶に追われているその下に、石垣の端近く、羽毛のような葉をした喬木《きょうぼく》に黄色い小さな花が雨に打たれて今を盛りと咲き誇っているのが、射るように釘抜藤吉の眼に映った。
説明を求めるように人々がぐるり[#「ぐるり」に傍点]と彼の身辺に輪を画いた後までも、藤吉の眼は凍りついたようにその黄色い花から離れなかった。と、やがて、低い独語が、
「いやさ――寺でもねえ。」
と藤吉の唇を衝いて出たが、にわかに溌剌《はつらつ》として傍らの彦兵衛の肘を掴むと、
「のう、彦、大の男がこの界隈から一時あまりで往復《いきけえ》りのできる丑寅の方と言やあ、ま、どの辺だろうのう?」
「急いでけえ?」
「うん。」
「丑寅の方角なら山王旅所《さんのうたびしょ》じゃげえせんか。」
「てえと、亀島町は――。」
「眼と鼻の間。」
「やい、彦、手前亀島町の近江屋まで走って――。」
と何やら吹込んだ藤吉の魂胆。頷首《うなず》きながら聞き終った彦兵衛は、
「委細合点承知之助。」
ぶらり[#「ぶらり」に傍点]と歩き出す。
「屑っ籠は置いてけよ。」
茶化し半分に追いかけてどなる勘次を、
「勘、無駄口叩かずと尾いて来いっ。」
と、藤吉は飛鳥のごとくやにわに随全寺の崩れ石垣を攀登《よじのぼ》った。遅れじと勘次が続こうとすると、
「親分、親分の前だが、寺内のお手入れだけは見合せて下せえ。寺社奉行の支配へ町方が――。」
町役人の重立《おもだち》が、こう言って同心手付の方へ気を兼ねながら、心配そうに藤吉を見上げた。が、
「花を見る分にゃあ寺内だろうとどこだろうといっこう差支えごぜえますめえ。」
とすまし込んだ藤吉は、木の下へ立って黄色い花を矯《た》めつすがめつ眺めていたが、ぐい[#「ぐい」に傍点]と裾を引上ると、浅瀬でも渉る時のような恰好でやたらにそこらじゅうを歩き始めた。気のせいか、雨に洗われた雑草の形が乱れて、黄色い花をつけた小枝が一面に折れ散っている。そこから本堂との間は広くもない墓場になっていて、石塔や卒塔婆《そとば》の影が樹の間隠れに散見していた。
勘次も提灯崖も、ただ猿真似のようにその黄色い花の咲いている木の廻りを見渡した。二尺近くも延びている草の間から、青竹の切れを探し当てた藤吉は、暫時それで地面の小枝を放心《ぼんやり》掻き弾《はじ》いていたが、来る途中彦兵衛から受け取った小さな金物を袂から出して眺め終ると、やがてすたすた[#「すたすた」に傍点]庫裏《くり》の方へ向って歩き出した。後の二人は、狐につままれたようにその尾に随いた。
と、何事か思い出したように藤吉が勘次へ囁いた。勘次はびっくりして聞き返した。藤吉の眼が嶮しく光った。勘次はそそくさ[#「そそくさ」に傍点]と寺を出外れると、そのまま屋敷町の角へ消えて行った。
四
「不浄仏《ふじょうぼとけ》たあ言い条――。」
薄暗い庫
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