た[#「あたふた」に傍点]とそこへ飛んで来た。
「た、大変だ! 若え坊さんが裏の井戸へ――。」
「はっはっは、言わねえこっちゃねえ。提灯屋、ま、不平《こぼ》さねえで御用大事と――勘、どこかで茶漬けでもかっこんで帰るべえ。彦、紙屑籠を忘れめえぞ、はっはっは、いや、皆さん、何ともかともおやかましゅう――。」
五
「よくも親分、ああ早くから当りがつきやしたのう。」
「まあ、呑め、一杯呑め。」新網町の小料理屋おかめの二階へどっかり[#「どっかり」に傍点]と胡坐《あぐら》をかいた釘抜藤吉は、珍しく上機嫌だった。「おうっ、姐さん、赤貝の酸《す》を一枚通してくんねえ。こうっと――そうよなあ、傷口を検《み》て菜切りと睨んだんだが、玉が四時と来て、その下の土が八つ半からの雨にしこたま[#「しこたま」に傍点]濡れてるとすりゃあ、彦の鼻っ柱の千里利きじゃねえが、他から運んだと見当が立たあな。石垣上の黄色い花を見て、――勘、今日だきゃあ呑め、ま、一杯呑め――花を見て俺あ朝の癩病人を思いついたんだ。彦から貰った鞐もあるし、こいつあ臭えと上ってみるてえと、勘の前だが、落花狼藉よ。なあ、勘、枝を弄《いじ》くった竹っ切も落っこってたなあ。」
「小枝はうんとこしょ落ちてたが、あの竹の棒がいったい親分何の足しに――?」
「佐平の爺め、あれで死骸に被せてあった小枝を払いやがったのよ。勘、汝もちったあ[#「ちったあ」に傍点]頭を働かせ、大飯ばかり食いやがって。」
「だが、親分、何のために竹づっぽで?」
「知ってる者あ知ってらあな。爺だって婆あだって、癩病人にゃなりたかねえからよ。」
「ふうん。」彦兵衛が唸った。
「やい、彦、俺の真似をするねえ。」
「真似じゃねえが、」と葬式彦兵衛は眼をしょぼしょぼ[#「しょぼしょぼ」に傍点]させて、「野郎が八丁堀を通って近江屋へ買いに行ったあの牛蒡と生姜はなんですい?」
「妙薬よ。」
「天刑病のでございますかい?」
「誰が天刑病だ?」
「犯人。」
「はっはっは、間抜め。」酒をこぼしながら、膝を揺がせて藤吉は笑った。「朝からどうもあの折助の面つきが、眼の底から抜けねえような按配だったが、ありゃあお前、癩病《なりんぼ》じゃねえ。どでえ[#「どでえ」に傍点]、病いじゃねえ。」
「へえ――い?」
「へえ[#「へえ」に傍点]でもねえ。」
「まあ、親分、冗談は抜きにして――。」
「冗談じゃねえよ、漆かぶれだ。」
「え?」
「うるし。」
「うるし?」
「そうよ、う、る、し、てんだ。はっはっは、解ったか。」
「じゃ、あの木――は。」
「漆の木よ。あの花を見て、こちとら[#「こちとら」に傍点]あなるほどと感ずったんだ。奴め、暗黒《やみ》ん中で、漆《うるし》とは知らず千切ってかけ、折っては被せしたもんだから四|時《とき》の間にあのざまよ――梅雨に咲く黄色え花が口を利き、とね。ははは。」
「まあ、親分さん、もの言う花でござんすか。ほほほほ。」
と小粋な女中がさらり境いの襖を開けて、
「はい、お待遠おさま。」
「拙は酢章魚《すだこ》でげす、おほん。」
と気取って勘弁勘次は据わり直す。女中が明けて行った廻り縁の障子。降り飽きた雨はとっくに晴れて、銀色に和《なご》む品川の海がまるで絵に画いたよう――。櫓音ものどかにすぐ眼の下を忍ぶ小舟の深川通い、沖の霞むは出船の炊《かし》ぎか。
「さあ、呑め、もう一杯だけ呑め。」
玉山《ぎょくざん》将《まさ》に崩れんとして釘抜藤吉の頬の紅潮《あからみ》。満々と盃を受けながら、葬式彦兵衛が口詠《くちずさ》んだ。
「梅雨に咲く花や彼岸の真帆片帆。」
底本:「一人三人全集1[#「1」はローマ数字、1−13−21]時代捕物釘抜藤吉捕物覚書」河出書房新社
1970(昭和45)年1月15日初版発行
入力:川山隆
校正:松永正敏
2008年6月7日作成
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