をじいっと凝視《みつ》めて、藤吉は持駒で頤を撫でた。
「合点がいかねえか知らねえが、」と、盤の向う側から頭の常吉が口を出した。「先刻から親分の番でがす。あっし[#「あっし」に傍点]はここんとこへ銀は千鳥としゃれやしたよ。」
「うん。」藤吉はわれに返ったように、「下手の考え休みに到る、か。」と、ぱちりと置く竜王《りゅうおう》の一手。
降りみ降らずみの梅雨《つゆ》上りのこと。弘化はこの年きりの六月の下旬《すえ》だった。江戸八丁堀を合点小路へ切れようとする角の海老床に、今日も朝から陣取って、相手変れど主変らず、いまにもざあっと来そうな空模様を時折大通りの小間物問屋金座屋の物乾しの上に三尺ほどの角に眺めながら、遠くは周の武帝近くは宗桂《そうけい》の手遊《てすさび》を気取っているのは、その釘抜のように曲った脚と、噛んだが最後釘抜のように離れないところから誰言うとなく釘抜藤吉と異名を取ったそのころ名うての合点長屋の目明し親分、藍弁慶《あいべんけい》の長着に焦茶絞《こげちゃしぼ》りの三尺という服装《こしらえ》もその人らしくいなせ[#「いなせ」に傍点]だった。乾児の岡っ引二人のうち弟分の葬式彦兵衛は芝の方を廻るとだけ言い置いて、いつものとおり鉄砲笊《てっぽうざる》を肩にして夜明けごろから道楽の紙屑拾いに出かけて行った。で、炊事の番に当った勘弁勘次が、昼飯《ひる》の菜《さい》に豆腐でも買おうとこうやって路地口まで豆腐屋を掴まえに出張って来たものの、よく読めないくせに眼のない瓦本《かわらぼん》でつい[#「つい」に傍点]髪結床へ腰が据わり、先刻から三人も幸町を流して行く呼声にさえ気のつかない様子。もう四つにも間があるまい、背戸口の一本松の影が、あれ、はい寄るように障子の桟へ届いている――。
「親分。」
盲目縞をしっとり[#「しっとり」に傍点]濡らした葬式彦が、いつの間にか猫のように梳場《すきば》の土間に立っていた。
「彦か――やに早く里心がついたのう。」
と藤吉は事もなげに流眄《ながしめ》に振り返って、
「手前、何だな、何か拾って来やがったな。」
「あい、聞込みでがす。」
がばと起き上った勘次の眼がぎらり[#「ぎらり」に傍点]と光った。
「違えねえ」と藤吉は笑った。「さもなくて空籠で巣帰りする彦じゃねえからのう、はっはっは。」
「親分。」
「なんでえ?」
「お耳を。」
「大仰な。
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