いながら何やら二言三言耳打ちした。その間に勘次は死骸の肌を開いて傷痕を出していた。正面《まえ》へ廻って藤吉はその柘榴《ざくろ》のような突傷を撓《た》めつ眇《すが》めつ眺めていたが、いっそう身体を伏せると、指で傷口を辿り出した。それから手習いをするように自分の掌へ何かしら書いていた。
「出刃でやらかしたってえのかい?」
 と三吉を振り返った。三吉はうなずいた。そしてついでに懐中から公儀の始末書状を取り出して見せた。が、それには眼もくれずに、
「丑満《うしみつ》近え子《ね》の刻に、相好のわからなくなるほどの煮え湯を何だってまた沸かしておきゃがったもんだろう。」
 死骸を離れながら藤吉は憮然としてこう言ったが、急に活気を呈して、
「勘、手前見たか、あれを。」
「何ですい?」
「とち[#「とち」に傍点]るねえ、天井板の指痕をよ。」
「へえ、見やした。たしかに見やしたぜ。」
「ふうん。」と、藤吉は考えていた。と、差配の伊勢源へ向き直って、
「きっぱり黒白をつけてえのが、あっし[#「あっし」に傍点]の性分でね、天下の公事《くじ》だ。天井板の一枚ぐれえ次第によっちゃ引っぺがすかも知らねえが、お前さん、四の五の言う筋合いはあるめえのう。」
「四の五のなんぞと滅相もない。親分のお役に立つなら、はい、何枚でも――。」
 と伊勢源は狼狽して言った。
 藤吉は会心らしく微笑した。
「勘、行って来い。」
「合点だ。」
 声と共に勘弁勘次はほど近い杵屋の家へ出掛けて行った。
 後で藤吉は人々の口から、助三郎夫婦がときどき犬も食わない大喧嘩をしたことや、死んだ栄太は助三郎の実の兄で、ちょくちょく杵屋へ出入りしていたが、穏和な弟とは似ても寄らず、箸にも棒にもかからない悪党であったこと、栄太が自害した一昨日の暮れ早々、助三郎夫婦は女房お銀の実家甲府在へ旅立ちしたことなど、それとなく聞き出したのであった。栄太の自殺が一昨日の真夜中に行われたとすれば、戸外からはいった形跡のない以上、助三郎夫婦の発った時栄太はすでに留守宅にいたはずであった。が、そもそも何のために自分自身の腹を突いたか――。
「甲府の助さんとこへ飛脚を立てずばなるまい。」と、伊勢源が一座の沈黙を破った。
「はっははは――。」
 突然藤吉が哄笑した。一同は唖然として彼を見守った。
「まずまずその心配にも当るめえ。」
 と彼は面白そうに言って
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