かい?」
「ええ、ちょっとね。でも、たいしたことはないわ」
「ほんとにおめえには、気の毒だよ。遊びてえ盛りを、こうやっておいらといっしょに、日《ひ》がな一|日《にち》辻に立って、稼業《しょうべえ》するんだからなあ」
とチョビ安、言うことだけ聞くと、いっぱしの大人が子供を相手にしているようだ。
遊びたい盛りなんて、自分《じぶん》はいくつだと思っている。
こまかい藍万筋《あいまんすじ》の袖へ、片手を突っこんで、こう、肩のところで弥造《やぞう》をおっ立てたチョビ安。
吉原《よしわら》かぶりにしていた手拭を、今はパラリと取って二つ折り、肩《かた》にかけています。
下目《しため》に、横っちょで結んだ算盤絞《そろばんしぼ》りの白木綿《しろもめん》の三尺が、歩くたんびにやくざ[#「やくざ」に傍点]にねじれる。
身幅《みはば》の狭い着物ですから、かあいい脛《すね》がチラチラ見えて。
その意気なことったら、ほんとに、見せたいような風俗。
にがみばしった――と言いたいところですが、顔だけはどうもしようがない。これで顔にむこうッ疵《きず》でもあれば、うってつけの服装《つくり》なんですが、それこそ、辻のお地蔵さんへあげるお饅頭みたいな、愛《あい》くるしい顔だ。
片手に、お美夜ちゃんの手を引いて、
「なア、これで泰軒先生に、今夜も寝酒の一|杯《ぺい》もやってもらえようってもんだ」
「ねえ、安さん……」
とお美夜ちゃんは、チョビ安のこまっちゃくれたのがうつったのか、これも、いつからともなくませた口をきく。
「あたいね、毎日のことだけど、いつもあすこんところでは泣かされちゃうのよ――あのホラ、あたいの父《ちゃん》はどこにいる、あたいのお母《ふくろ》どこへ行った、で、あたしがネ、こう、手をかざして、お父《とっ》ちゃんやお母《っか》ちゃんを探してまわる物狂《ものぐる》いのところね――何度やっても、あそこは身につまされるわ。きょうも涙ぐんだの」
「おいらもそうだよ。どうもあすこはいけねえ。思わず涙声になっちまって、こっぱずかしくっていけねえや。だけどなア、考えてみると、おいらのような運の悪いものも、またとねえだろうよ」
お美夜ちゃんは、その小さな手で、ギュッとチョビ安の手を握りかえして、
「アラ、思い出したように、どうしてそんな心細いことを言うの? あたい、泣きたくなっちゃうわ」
「おいらも、何も言いたかねえけどさ、だって、そうだろうじゃアねえか。やっと橋下の乞食小屋で、かりにも、父《ちゃん》てエ名のつくお侍を一人拾い上げて、まあ、父《ちゃん》のつもりで孝行をつくす気でいたところが、そのお父上は穴埋めにされて、おまけに水浸しときたもんだ。いかに強《つえ》えお父上でも、あれじゃア形なしにちげえねえ。でも、死骸の出ねえところをみると、ヒョッとすると――どこにどうしているかなア、あのお父上は」
木履に冷飯|草履《ぞうり》と、二人の小さな歩がからみ合って、竜泉寺はトンガリ長屋のほうへ……。
その横町《よこちょう》の居酒屋《いざかや》、川越屋《かわごえや》の土間《どま》へとびこんだチョビ安は、威勢よく、
「オ、爺《とっ》ツアん、いつもの口《くち》を、五|合《ごう》ばかりもらおうじゃあねえか。飲《の》む口《くち》に待っていられてみると、どうも手ぶらじゃア帰《けえ》れねえや」
二
柳生家の定紋《じょうもん》を打ったお駕籠が一丁、とんがり長屋の中ほど、作爺《さくじい》さんの家の前に、止まっています。
紺《こん》看板に梵天帯《ぼんてんおび》のお陸尺《ろくしゃく》が、せまい路地いっぱいに、いばり返って控えている。
「オウオウ、寄るんじゃアねえ」
「コラッ、この餓鬼ッ! そんなきたねえ手で、お駕籠にさわると承知《しょうち》しねえぞ」
陸尺の一人が、そう言って子供をどなりつける。ヨチヨチ駕籠のそばへ歩いてきて、金色《きんいろ》の金物《かなもの》のみごとなお駕籠へ、手を触れてみようとしていた三つばかりの男の子が、わっと泣きだす。
母親らしいおかみさんが、子供を抱きかかえて、
「なんだい、おまえさん、何をするんだい。子供に罪はないじゃないか」
取りまいている長屋の連中のなかから、
「このトンガリ長屋へ来て、きいたふうなまねをしやがると、けえりには駕籠をかつぐかわりに、仏様にしてその駕籠へのせてけえすぞ」
「どこの大名か知らねえが、このトンガリ長屋は貧乏人の領地だ。気をつけて口をきくがいいや」
「何を洒落《しゃら》くせえ。柳生一刀流にはむかう気なら、かかってこい」
なんかと、駕籠かきと長屋の人々と、ワイワイいう騒ぎだ。
そのののしり合う声々を戸外《そと》に聞いて、田丸主水正は、ここ作爺さんの住居《すまい》……たった一間《ひとま》っきりの家に、四角くなってすわっている。
「サ、そういう理由《わけ》でござるから、なにとぞ、さっそく林念寺《りんねんじ》前の上屋敷のほうへ、おこしを願いたい。馬を彫《ほ》らせては、当代|唯《ゆい》一|無《む》二の名ある作阿弥《さくあみ》殿、イヤ、かようなところに、名を変えてひそんでおられようとは……?」
主水正《もんどのしょう》がうやうやしく頭をさげる前に、迷惑そうにちょこなんとすわっているのは、作爺さんです。老いの身の病気あがり、気のせいかこんどの病で、めっきりおとろえたようです。つぎはぎだらけの縦縞の長半纏《ながはんてん》の上から、夏だというのに袖なしを羽織《はお》って、キチンとならべた両の膝がしらを、しきりに裾《すそ》を合わせて包みこみながら、
「ヘイ、なにがなんだか、おっしゃることがいっこうにわかりませんで、ヘイ。私《わたくし》は作爺と申す名もないもので……」
恐縮しきった作爺さん、救いを求めるような視線を、横手へ向けます。
「イヤ、そうお隠しなされては、てまえホトホト困迷《こんめい》いたす」
と田丸主水正も、横へ眼をやる。
そこに、小山を据えたようにすわっているのは、先ごろから、このトンガリ長屋の王様とあおがれている、巷《ちまた》の隠者|蒲生泰軒《がもうたいけん》先生だ。
両方から助《すけ》だちを乞うような眼を受けて、
「ウフフフ」と泰軒は含み笑い、
「あちら立てればこっちが立たず……という、柳生の御使者どの、この御老人は単にトンガリ長屋の作爺さんでけっこうだとおっしゃる。無益な前身の詮議だてなどなさらずと、早々《そうそう》にお帰りなされたほうがよろしかろう」
「とんでもない! それでは、かく申す家老の拙者が、わざわざ自身で乗りこんでまいった趣旨がたち申さぬ。先ほどから申すとおり、てまえ主人柳生対馬守、このたび日光造営奉行を拝命なされたについては、何がな後世へ残るべき彫刻をほどこして、廟祖御神君の霊をなぐさめたてまつらんと、そこで思いつきましたのが、神馬《しんめ》の大彫《おおぼ》りもの……」
「ヤイヤイ、なんでえ! どいたどいた。チョビ安様《やすさま》とお美夜ちゃんのおけえりだ……オヤ! この駕籠は?」
土間口《どまぐち》に、チョビ安の大声。
三
田丸主水正は、必死につづけて、
「御承知でもござろうが、日光|什宝《じゅうほう》のうち、まずその筆頭にあげられるのは、本坊輪王寺に納めある開山上人《かいさんしょうにん》御作《ぎょさく》の、薬師仏《やくしぶつ》御木像《ごもくぞう》一体……」
と主水正は、まるで、そのあらたかな仏像に面と向かっているかのように、うやうやしく一礼した。
「開山上人。諱《いみな》は勝道《しょうどう》。日光山の開祖でござって、姓は若田氏《わかたうじ》、同国《どうこく》芳賀郡《はがごおり》のお生れですナ。今を去る千百余年、延暦《えんりゃく》三年|二荒山《ふたらさん》の山腹において、桂《かつら》の大樹を見つけ、それを、立ち木のままに千手大士の尊像にきざまれたが――」
「なんだい、お開帳かい? こいつ、髪《かみ》をゆってる坊さんなんだね?」
お美夜ちゃんの手を引いたチョビ安が、いつのまにか上がってきて、そう言って横手の壁を背に、お美夜ちゃんとならんでちょこなんとすわった。
「家の前《めえ》には、この長屋に用もありそうのねえ、りっぱな駕籠が、止まっているし、屋内《なか》にはまた、抹香《まっこう》くせえお談議が始まっていらア。ヨウ作《さく》爺ちゃん、泰軒小父《たいけんおじ》ちゃん、これはいったい、どうしたというんですイ?」
チョビ安はまるい眼をキョトキョトさせて、作爺と泰軒|居士《こじ》へ、交互《たがい》に問いかけた。
二人とも、答えない。
見向きもしない。
それどころではない……といった一種切迫した空気が、室内にたちこめて。
お美夜ちゃんとチョビ安の帰って来たことさえ、人々の意識にないようす。
それよりも今。
まるで別人のような、急激な変化を見せているのは、この家《や》の主人《あるじ》作爺さんこと作阿弥《さくあみ》である。平常《ふだん》は眠っているのか、さめているのかわからない眼が、かっと開き、いきいきと燃えあがって、いつも草鞋《わらじ》の裏のように生気のない顔が、今は何ものかに憑《つ》かれたかのように、明るいかがやきをともしているのだ。
病《や》みほうけたからださえシャンとなって、スウッと肩をのばし、端坐《たんざ》の膝に両手を置いた作阿弥、主水正の言葉をツとさえぎって、夢みる人のように言いだした。
これはもう、トンガリ長屋の作爺さんではない……当代に名だたる名木彫家《めいもくちょうか》作阿弥の、芸術心に燃える姿。
「さよう――だが、お話の開山上人の薬師仏は、二荒山《ふたらさん》の桂《かつら》の大樹を、立ち木ながらに手刻《しゅこく》したものではござらぬ。のちに歌《うた》ケ浜《はま》においてその同じ桂の余木《よぼく》をもちいて彫《ほ》らせられたのが、くだんの薬師《やくし》の尊像《そんぞう》じゃとうけたまわっておる。ハイ、まことに古今《ここん》の妙作《みょうさく》」
泰軒先生が無言のまま、深くうなずいた。田丸主水正はお株を取られたかたちで、だまっている。
チョビ安とお美夜ちゃんは、常と違う作爺さんの態度に、いったい何事かと、あっけにとられて見まもるばかり。
「日光には、たしか弘法大師|御作《ぎょさく》の不動尊の御木像《おんもくぞう》も、あるはずじゃが、あれは、寂光寺《じゃくこうじ》の宝物でござったかナ?」
「は」
主水正は、かしこまって、
「そのほか、慈眼大師《じげんだいし》の銅製《どうせい》誕生仏《たんじょうぶつ》、釈尊《しゃくそん》苦行《くぎょう》のお木像《もくぞう》、同じく入涅槃像《にゅうねはんぞう》、いずれも、稀代《きだい》の名作にござりまする」
「うけたまわっております。命のあるうち、ひと眼拝観したいものじゃと、作阿弥一生の願いであったお品々じゃ」
「サ、それらをしたしく御覧になれようというもの。そのうえ、腕にまかせて神馬《しんめ》をお彫りなされば、それらの名品と肩をならべて、世々生々《よよしょうしょう》伝わりまするぞ、作阿弥殿……サおむかえの駕籠《かご》が、まいっております」
四
「さすがは柳生じゃ。世を捨てた名人を探しだして、一世一代の作を残させるとは、このたびの日光造営は、おおいに有意義であった。その作阿弥の神馬とともに、柳生の名も、ながく残るであろう……と上様からおほめ言葉のひとつも、いただこうというもので」
ここを先途《せんど》と主水正は口説《くど》きにかかる。
作阿弥はじっと眼をつぶったまま、身動《みじろ》ぎもしない。
その小さな老人のすわった姿が、この狭い部屋いっぱいにあふれそうに、大きく見えるのは、彼の持つ技《わざ》の力が、放射線のように、にわかに炎々《えんえん》と射しはじめたのであろうか。
「わしに、馬を彫って、後世へ残せという……」
口のなかで噛むように、作阿弥は、そうひとことずつ句ぎってつぶやきながら、そっと眼をあけて泰軒先生を見やった。
どうしたものであろう―
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