進をなされた。
 なにしろ、徳川家のお髯《ひげ》の塵《ちり》をはらうのが、当時の大名の何よりの保身術だったから、われもわれもと知恵をしぼって、すばらしい寄進のあったなかに。
 このとき。
 造営総奉行の一人に、松下右衛門太夫《まつしたうえもんだゆう》源政綱《みなもとのまさつな》という、これは、武州《ぶしゅう》川越の城主でしたが。
「オイ、困ったな。みんながみごとな寄進をするのに、何も献納せんということはできないが……」
「と申して、どうも当藩は、お台所のつごうがよくございません。そうですナ、何か植えものでもなされては――」
「ウム、それはいいところへ気がついた。木は生き物だから、のちになってみごとな風物を作りださんともかぎらぬ」
 というようなことで、貧乏の苦しまぎれに、見すぼらしい杉苗を、あの街道筋と山内《さんない》一帯に植えて、献納したのだった。
 川越の殿様なら、お芋《いも》でも植えそうなものだが……。
 寛永元年から慶安元年まで二十余年の苦心で植えたのです。
 その延長は、東照宮付近から今市に出て、三方に別れ、鹿沼《かぬま》街道は三里十五町、文挟《ふばさみ》の先まで――宇都宮街
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