よいぞ」

       三

 元和《げんな》二年、家康が駿府《すんぷ》に死ぬと、はじめ久能山《くのうざん》に葬ったが、のちに移霊の議が起こって、この年の秋から翌年の春にわたって現在の地に建立されたのが、大猷廟《だいゆうびょう》をはじめ日光の古建築である。
 これが元和の造営。
 その後さらに、寛永に大改造が行なわれて、だいたい今見るような善美壮麗をきわめた建物となったのです。
 この寛永の大造営には、酒井《さかい》備後守《びんごのかみ》、永井《ながい》信濃守《しなののかみ》、井上《いのうえ》主計頭《かずえのかみ》、土井《どい》大炊頭《おおいのかみ》、この四名連署の老中書付、ならびに造営奉行|秋元《あきもと》但馬守《たじまのかみ》のお触れ書が伝えられている。
 寛永八年ごろから、ボツボツ準備して、実際の仕事に取りかかったのが十一年の秋。約一年半で、工事を終わった。その間に仮殿をつくり、遷宮をして、それから本殿の古い建物を壊し、そこへ新築したのだから、一年半でこれらの大工作が終わったとは、実におどろくほど神速であったと言わなければならない。
 付属の建物は、その後にできたものも多いが、
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