謀叛骨の高いのが現われて、天下の騒ぎを起こさないともかぎらない。それを防ぐために、財産を吐き出させようと、大金のかかる日光大修営の籤《くじ》を落としたのだけれど。
今は、あべこべに。
将軍様が機密費を出して、それで名家柳生を救わなければならないことになった。
これじゃアまるで、天へ向かって唾をしたようなもので、あの金魚籤で死んだ不幸な金魚が、ざまアみやがれと言ったといいます。
だが、ただ公儀から金がおりたというのでは、柳生も体面上受けとりにくいし、他の諸侯へのきこえもある。
愚楽老人は、せかせかと手をたたいて、お小姓を呼んだ。
「料紙と硯箱、それに、線香を一本持ってきてくださらぬか」
六
それから二、三日した明け方のことです。
麻布林念寺前の、柳生の上屋敷。
その邸内の一角、尚兵館《しょうへいかん》と名づけられた道場に、わざわざ伊賀から下向した壺探索の一隊を引きつれて寝とまりしている高大之進――イヤ、驚きました。
驚いたわけです。
春眠|暁《あかつき》を覚えず……夢うつつの境で、ウトウトとしていた横っ腹を、イヤというほど蹴りつけた者がある。
「ヤッ、何やつ?」
がばとはね起きてみると、ナニ、蹴ったんじゃアない。若い伊賀侍の一人が、何かに驚きあわてて部屋へとびこんでくる拍子に、大之進の胴ッ腹につまずいたんです。
「ナ、何をする」
「何をするじゃアございません。たいへんです。たいへんです! ふしぎなこともあるもので、いま私が、朝早く起きて、庭で……」
と、その言うところは、こうだ。
この若い弟子、いつも恐ろしく寝坊なんだが、今朝にかぎってすこし早起きをして、庭へ出てラジオ体操――じゃアない、木剣を振っておおいに三文のとくを味わおうとしていると、
「これが驚かずにいられますか。あのお庭の根あがり松に、何がぶらさがっていたとおぼしめす、高隊長殿」
「まさか、天人の羽衣でもあるまい」
まわりに寝ていた連中も、ゴソゴソ起き出て、
「首くくりでもブラさがっていたのか」
「何を不吉なことを申す」
若侍は躍起になって、
「天人の羽衣よりも、もっと貴重な品ですぞ、隊長殿。こけ猿の壺に縄がついて、あの根あがり松の下枝に、ひっかかっておるではござらぬか。それが、さわやかな朝風に吹かれて、ブラーリ、ブラリ……」
「寝ぼけたな、貴様」
「夢にもこけ猿を忘れぬゆえに貴公、かわいそうに乱心めされて、さような幻影を見るようにあいなったか」
「こけ猿が松の木などに、ぶらさがっていてたまるものか」
「嘘だと思うなら、出て来て見るのがいちばんの早道だ」
一同はがやがや言いながらその発見者の若侍に付き従って、ゾロゾロ庭先へ立ちおりてみると、高大之進をはじめ、尚兵館の一同、イヤ、驚きました。
驚くわけです。
庭隅の築山のふもと、江戸家老田丸|主水正《もんどのしょう》が、何よりの自慢にしている一本松……。
その梢に、黒い西瓜《すいか》のようにブラリとひっかかっているのは、紛れもないこけ猿の茶壺でございます。
ポカンと口をあけた高大之進、
「ああ、わが輩も、寝てもさめてもこけ[#「こけ」に傍点]猿、こけ猿と思ううちに、かような怪しの幻を見るようになったか」
とつぶやいて、思わず眼をこすったといいますが、それはそうでしょう。何しろ、そのこけ[#「こけ」に傍点]猿のためには、今まで多勢の人間が血を流し、またそのために、いま、若き主君伊賀の源三郎は行方知れず……丹下左膳などという余計者《よけいもの》まで飛び出して、まんじ巴の必死の争いを描きだしているその中心――こけ[#「こけ」に傍点]猿の茶壺が、ぶらりとさがって、見つけた若侍の言い草ではないが、さわやかな朝の微風にそよいでいるのですから……。尚兵館の連中、声もない。
七
「ウーム、皮肉な壺だナ……」
うめいた高大之進、松の木へかけよって、壺をにらみあげながら、
「探すときには姿も見せず、とほうにくれておると、こうして松の木などにぶらさがっている。だが、いったい何者の仕業であろうナ?」
あたりの伊賀侍たちをジロジロ眺めまわしたが、こいつだけは誰にも返事ができない。
とにかく。
おそろしく変わった風景です。茶壺を荒縄で縛りあげて、そいつがブランと松の枝にひっかかっているんですから。
「昨夜深更に、何奴かが忍びいって……」
「しかし、これが真のこけ猿の茶壺とすれば、そやつは、よほどわれわれに好意を持っておる者と思わねばならぬ」
屈強の若侍達が、壺を見上げて、ワイワイ言ってる。何かからくり[#「からくり」に傍点]がありそうで、うっかり手出しのできない気持――。
「おろせ!」
大之進の命令に、一人が、おっかなびっくり背のびをして、そっと壺を、松の根方
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