に左右から首をさしのべて、
「いや、それはたいへんなことでござります。せっかくここまでこぎつけたのに、肝腎の個所が虫食いとは……?」
「図のほうではわかりませんか」
文字の下に、小さな地図がついているのだけれど、それはいっそう虫のくった跡がはげしく、ほとんど何が書いてあるかわからない。
消えた線を、指先でたどっていた吉宗、
「これはハッキリ読めたところで、たいした頼りにはならぬであろう。ほんのその一個所の地図にすぎぬから……ホラ、この、山中の小みちが辻になっておるところに立って、右手を望めば、二本の杉の木があって――あとはどうにも読めぬが、苔むした大いなる捨石《すていし》のところより、左にはいり……とある」
「山の中の小みちが四つに合し、その辻から二本の杉が見えて、捨て石があって……これが武蔵国のどことも知れぬとは、もはや探索の手も切れたも同然」
暗然たる愚楽老人の言葉に、越前守は、膝をすすめて、
「しかし、埋宝のあることは、事実でござりますな。だが、大さわぎをしたこけ[#「こけ」に傍点]猿の茶壺は、ただ、これだけのことであったのか」
愚楽老人は憂わしげに、
「柳生はどうするでありましょう」
吉宗公が、
「どうするとは?」
「イエ、さしあたっての日光修営の費用――柳生は、この壺だけを頼りにしておりますのに、武蔵国とだけでは、まるで雲をつかむような話。こうなると、剣にかけては腕達者揃いの柳生藩、苦しまぎれに天下をさわがせねばよいが」
「上様」
と改まった声で、両手をついたのは、越前守忠相、
「柳生を救うため、また、日光御造営に関して、不祥《ふしょう》な出来事を防ぎますために、ここは上様、一計が必要かと存じますが」
「事、権現様の御廟に関してまいります」
愚楽老人も、そばから口を添えるのを、聞いていた吉宗公は、ややあって、
「ウム、みなまで言うにはおよばぬ。そのように取りはからえ」
「ハッ。それでは、日光に必要なだけの金額を……」
「そうじゃ、どこかに埋めて――」
「その所在を図に認めて、これなる壺に納め、それとなく伊賀の柳生の手へ送りとどけますことに……」
御寝の間に謀議は、いつまでも続きます。
五
「しかし、上様……」
愚楽老人は何事か思いつめたように、
「ちょっと、その、張りこめてあった地図を拝見――」
「誰が見たとて同じことじゃ」
将軍様のさしだす、古びた小さな紙片を、愚楽老人は受け取って、
「フーム、あれほど禍乱の因《もと》となったこけ[#「こけ」に傍点]猿が、ただこれだけの物であろうとは、チト受け取りかねる。のう越前殿、この紙の虫食いの跡を、貴殿はなんとごらんになるかナ?」
「古文書に虫の食ったように見せかけるには、線香で細長く焼いて、たくみに穴をあけるということを申しますが、まさかそんなからくり[#「からくり」に傍点]があろうとも――」
「イヤ、わからぬ。わかりませぬ――」
と愚楽老人は、からだに不釣合いな長い腕を、ガッシと組んで、考えこみました。
「これほど用心をして、大金を隠した初代の柳生、念には念を入れたに相違ない。これはことによると、同じようなこけ[#「こけ」に傍点]猿の壺が、まだほかに、一つ二つあるのかもしれませぬぞ」
「考えられぬことではない」
と沈思の底から呻《うめ》いたのは、八代吉宗公で、
「大切な手がかりを、ただ一つの壺に納めたのでは、紛失、または盗難のおそれもある。戦国の世の影武者のごとく、同じような壺を二つ三つ作り、そのうちの一つに真実の文書を隠しておくということは、これは、ありそうなことじゃわい」
どうやら、三人の話の模様では。
この壺もほんとうのこけ[#「こけ」に傍点]猿かどうか、危くなってきた。
そうすると……。
あの、最初に婿入りの引出物として、伊賀の暴れん坊が柳生の郷《さと》から持ってきたあれ[#「あれ」に傍点]も、果たして本当のこけ[#「こけ」に傍点]猿? もしあれが真のこけ[#「こけ」に傍点]猿の茶壺でないとすれば、本物はまだ柳生家にあるのか?――
無言の三人のうえに、城中の夜の静寂が、重い石のようにおおいかぶさる。
「ま、壺の真偽は第二といたしまして、日光を眼の前に控えて、柳生は今や死にもの狂いのありさまでございますから、御造営に必要なだけの金は、さっそく、それとなく授けますように、お取り計らいを願いたいと存じまする」
越前守の言葉に、吉宗と愚楽は、われに返ったよう。
「ウム、それはそうだ。では、さきほどの案を、取り急ぎ実行するように」
日光着手の日が近づいている今となっては、何よりも、まず財政的に柳生をたすけて、とにかく、御修理に着手させるのが、目下の急務である。
隠してある財産などがあっては、その子孫に、いつなんどき、
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