ム、とうなった吉宗様、壺を手近に引きよせて、つくづくとごらんになり、
「りっぱな作《さく》ゆきじゃなあ。品行といい、味わいといい、たいしたものじゃナ」
幾金《いくら》ぐらいだろう……そんな骨董屋みたいなことはおっしゃいません。
四
「あけてくやしき玉手箱――スウッと煙が出て、この吉宗、たちまち其方《そち》のような老人になるやもしれぬぞ」
ごきげんのいいときは、お口の軽い八代様、そんなことをおっしゃって、愚楽へ笑いかけながら、パッと壺の蓋をとった。
何もはいっていない。
もとより、煙も出ない。
拍子抜けのした玉手箱……吉宗公は壺をひっくりかえして、底をポンポンとおたたきになっては、首をかしげてしきりに音を聞いてらっしゃる。縁日で桶を買うようなかっこうだ。底が二重になっているかどうか、それをあらためているのです。
越前守と愚楽は、笑いの眼をかわしたのち、愚楽が、
「どうです、上様。底に種仕掛けはございますまい」
「イヤ、これは降参いたした」
吉宗はそう言って、壺を畳へ置きなおし、
「この壺に秘図が入っておらんとなると、柳生の埋宝それ自身がちとあやしい話じゃな」
「そう……かもしれません」
「かもしれんではないぞ、愚楽。柳生はああいう武弁一方の貧乏藩じゃが、先祖の隠した大金がある。それをそのままにしておいては危険じゃから、日光を当てて吐き出させてしまえ――と、余に向かってそう進言したのは、愚楽、其方《そち》ではないか」
「ヘエ、上様のおっしゃるとおりで」
「ヘエではないぞ。それで、ああして柳生の金魚を死なしたのじゃが、日光をふり当てられた柳生では、一風とやら申す茶師の言《げん》を頼りに、それ以来、死にもの狂いでこれなるこけ[#「こけ」に傍点]猿の壺の行方をさがし求めてきた……これ、その壺をいまあけてみれば、ただ空気がはいっているだけとは、愚楽、これはすべて貴様の責任だぞ」
むりな理屈だが、楽しみにしていた壺をひらいてみると、何も出てこないので、吉宗公、ちょっと駄々《だだ》をこねはじめたのかもしれない。将軍をはじめ、昔の大名なんてものは、みんな、子供のようなわがまま者が多かった。
あわてるかと思うと、さにあらず、愚楽老人は平然として、
「上様、蓋をまだお持ちでございますな」
ときいた。
なるほど……気がつくと、八代様はさっき蓋をあけたとき取った蓋を、そのまままだ右手に持っていらっしゃる。
「ウム、これが――これがどういたした」
と吉宗は、つくづくその蓋をみつめている。
御存じのとおり、茶壺の蓋は、木をまるくけずったものであります。それに、奉書の紙が、一枚一枚と貼りかためてある。
「別になんの奇もない、ただの茶壺の蓋ではないか」
と吉宗は、それをポンと畳へほうり出した。蓋は、ころころと輪をえがいてころがりながら、越前守の膝先へ来て、ピタリと倒れた。
手にとった忠相は、おそるおそる口を開いて、
「毎年、新茶の候になりますと、諸藩から茶壺を宇治の茶匠へつかわします。茶匠はなかなか権威のありますもので、おあずかり申した諸侯のお茶壺を、それぞれ棚がありまして、それへ飾っておくのでございますが、そのとき……」
と、ひとくさり茶壺の説明をはじめました。
ひっそりとした大奥の夜気に、太い、おちつきはらった越前守の声が、静かな波紋をえがく。吉宗も愚楽も、いつのまにか緊張して、聞き入っています。
宇治《うじ》は茶《ちゃ》どころ
一
越前守は、静かな声でつづけて、
「御存じのとおり、茶壺にはいろいろの焼きがございますが、各大名の壺をあずかりました茶匠においては、禄高、城中の席順に関係なく、壺の善悪《よしあし》によって、棚の順位を決めるのでござります。いかに大藩の茶壺でも、壺そのものが名品でなければ、上位には据えられませぬ。また、小藩の茶壺なりとも、名器でござりますれば、上位を与えられますのが、これが、宇治の茶匠の一つの権威とでも申しましょうか? イヤ、上様の前をはばかりもせず、先刻御承知のことを、かように談義めかしておそれ入りまする」
ひれ伏そうとする忠相を、愚楽老人がそばから、制するような手つきとともに、
「イヤ、話にはおのずと、順序というものがござる、かまわずお続けめされい」
吉宗様も、ニッコリおうなずきになって、
「それで?」
と、うながされる。
「ハッ……それで、各大名は、おのずと壺の順位を争いまして、万金を投じて伝来の茶壺をあがない求めまするありさま。かくして、新茶が詰まりますまで、壺はその宇治の茶匠のもとに、飾られてあるのでございます」
「すると、このこけ猿の茶壺も、柳生藩から毎年、その新茶を入れに宇治の茶匠へつかわされたものであろうかの?」
上様の御下問
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