してさがってゆく。
しばらくすると、おおいばりの愚楽老人の声が近づいてきて、
「だから、わしは言うたじゃないか。上様のお耳にはいれば、わけなくお眼通りをお許しくださるにきまっておると。何も知らぬお手前らが、中途で邪魔だてするとはけしからん」
御座《ぎょざ》近くまでほとんどどなりちらさんばかりの勢いで来るのは、愚楽老人、いつもの癖が出たとみえる。
上段の間のふすまを左右に開かせて吉宗公はじっと愚楽を見やった。たって、やっとふすまの引き手に頭のとどくほどの愚楽老人と、上背《うわぜい》もたっぷり、小肥りの堂々たる越前守忠相とがならんで、双方すり足でお次の間へはいってくるところは、その珍妙なこと、とうとう八代様をふきださせて、
「ウフフフフフフ……愚楽、そちの抱いておるのは、そりゃ、なんじゃ」
愚楽老人は、大きな壺の箱を、持てあますように前に置いて、すわりながら、
「エヘヘヘヘ、とうとう伊賀のこけ猿が、大岡越前の入手するところとなりまして」
その横に着座した越前守忠相、
「夜中をもかえりみませず、お眼通りを願い出ました無礼、おとがめもなく、かくは直々《じきじき》お言葉をたまわり、ありがたきしあわせに存じまする。いつもながらごきげんうるわしく拝したてまつり、恐悦至極に存じまする」
つつしんで御挨拶申し上げているのに愚楽老人は、そういう儀礼はいっさい抜きで、いきなり、友達かなんぞのように将軍様へ話しかけて、
「どうしてこの壺が、越前の手にはいりましたか、そこらの筋道は、なにとぞおたずねなきよう」
「ホホウ、例の大金の所在を知るこけ猿とやら――どれどれ」
乗り出す吉宗公……愚楽老人はまるで自分が悪戦苦闘ののち、やっと手に入れたような顔つきだ。
三
吉宗公はせきこんで、
「愚楽、越前。お前たちはもうその壺をあけて見たであろうな」
「ハッ」
と越前は平伏して、
「ところが、紙片などは中にはいっておりません――」
言いかけるそばから、愚楽老人は、まるでお風呂場で背中を流しているときのように、気やすに膝をすすめて、
「それが、上様、ふしぎじゃあございませんか。何もはいっていないんで」
吉宗公は腕組みをして、眼をつぶった。
「フウム、はいっておらぬ。スルト、柳生の埋宝というのは、ひとつの伝説……いや、とんでもない作りごとにすぎなかったのかな」
ニヤニヤした愚楽老人、
「上様、おたずね申しあげます」
「ウ? なんじゃ」
「およそ紙きれなどを壺にかくすといたしますれば、まず、どこでございましょうな?」
「何をいう。壺に封じこめる――つまり、壺の中に決まっておるではないか」
「それが、ソノ、なんども申すとおり、はいっておりませんので」
「それならば、はじめからないのであろう」
「サ、そこです。とそう、私も考えましたが、いま一度お考え願えませんでしょうか」
「ウム、わかった! ハハハハハ、わかったぞ」
眼をかがやかした吉宗公は、力をこめて小膝を打ちながら、
「二重底だな?」
越前守と愚楽老人は、チラと眼を見かわす。
沈黙におちると、もう夜のふけわたったことが、錐《きり》で耳を刺すように、しんしんと感じられます。おそば御用、近侍の者たち、ことごとく遠ざけられて、今この御寝《ぎょしん》の間に額を集めているのは、八代将軍吉宗様を中に、天下ごめんの垢すり旗本愚楽さんと、今をときめく南のお奉行大岡忠相の三人のみ。
黒地《くろじ》金蒔絵《きんまきえ》のお燭台の灯が、三つの影法師をひとつに集めて、大きく黒く、畳から壁へかけてゆれ倒している。
一|町奉行《まちぶぎょう》が、いかに重大な事件だからといって、夜間《やかん》将軍と膝をつきあわせて話すということなどは絶対にない……ナンテことは言いッこなし。物には例外というものがある。これがその、最も意外な例外の場合のひとつなので……正史には出ておりませんけど、このときの三人の真剣さは、じっさいたいへんなものでございました。
愚楽老人の眼くばせを受けて、越前守は、壺の風呂敷をとき、古色蒼然たる桐の箱を取り出した。
時代で黒光りがしている。やがてその蓋を取りのぞき、そっと御前に出したのは、すがり[#「すがり」に傍点]という赤の絹紐の網のかかった、これぞ、まぎれもないこけ猿の茶壺……。
多くの人をさわがせ、世に荒波をかきたてたとも見えず、何事も知らぬ顔にヒッソリと静まり返っているところは、さすが大名物《おおめいぶつ》だけに、にくらしいほどのおちつきと、品位。
人に頭をさげさせるだけで、自分の頭をさげたことのない八|代《だい》有徳院《うとくいん》殿も、このとき、このこけ[#「こけ」に傍点]猿に面と向かったときだけは、おのずと頭のさがるのをおぼえたと申し伝えられております。
ウー
前へ
次へ
全108ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング