刀を振りまわしながら、護摩堂の中へなだれこむだけで、左膳を斬るでもなく、また、伊賀の藩士たちとやいばを合わせるのでも、むろんない。
ただ、源三郎たちは、付近を一大混乱の渦に巻きこんだだけだ。でも、それで十分。左膳の濡れ燕にかかった伊賀侍、十数名。
白い煙のような護摩堂の奥深く、血刀とともにさまよいこんだ丹下左膳。
そこの荒壁の前に、母娘だき合って失神せんばかりの、お蓮様とお美夜ちゃんを見かけるより早く、
「オイッ! さあ、もう大丈夫だ。良民をとらえて人柱などと、これも、この徳川へのおべっか[#「おべっか」に傍点]か。なんだ、この日光など、私墳《しふん》にすぎぬものを……この丹下左膳が来たからにゃア、かような無道なことは断じてさせぬ」
と、二人をかかえてのがれ出ようとすると、近くのお作事部屋に火があがった。これも、源三郎が一人に命じて、混乱の度を大きくするために、火をはなさせたのだ。
この火事が、はるか霧降りの滝の下の作爺さんの眼に映って、折りからそこへたずねて行ったチョビ安、泰軒居士の二人は、作爺さんとともに、悍馬《かんば》足曳《あしびき》に三人鈴なりの体《てい》、雑沓《ざっとう》の護摩堂付近へ馬を乗り入れたとき、ちょうど群集を斬りはらいながらたち現われた左膳と、バッタリ――。
「おお、お父上!」
とチョビ安は涙声、
「お美夜ちゃんも、無事で!」
「アラ、チョビ安兄ちゃん! お爺ちゃんも来てくだすったの」
「ウム、あぶないところを助かったか、これ、お蓮、お美夜、ここでは話もできんから……」
と、片手に足曳のくつわを取った作爺さんの横顔に、燃えさかる作事部屋の火が、赤かった。
四
騒動にまぎれて、日光の山をくだりかけた一同が、振りかえって見ると、作事部屋の火は大事にいたらずしてすぐ消し止めたらしく、明けはなれようとする夜空に、火映えはどこにも見られなかった。
それから数刻ののちには。
カラッとした秋の朝陽の降る日光街道に、今市の方向をさして急ぎつつある、異様な姿の一行が見られた。
「御好意返上」とだけ、筆太《ふでぶと》に書いた紙を馬のくつわに結びつけて、そのまま足曳《あしびき》を手ばなした作爺さんは、放心状態のお美夜ちゃんとお蓮様の手を引いて……それをとり巻く左膳、源三郎、萩乃、お藤、チョビ安、泰軒たち。
思い出したように、歩《ほ》をとめた泰軒が、
「安|大人《たいじん》、お前は下山してしまっては、なつかしの父上に会えぬではないか」
「オオ、安の父親が知れましたか」
おどりたつ作爺さんの問いに、チョビ安は、
「ウム、おいらの父《ちゃん》は、なんでもこんどの日光造営の竣工式に、紫の衣装をつけて出る人だと聞いて、それを頼りにこの日光まで、わざわざ会いに来たんだけど」
「ナニ。むらさきの衣装をつけて出る人だ?」
と立ちどまって考えこんだ作爺さん、
「フーム、紫の……イヤしかし、まさか――だが、伊賀にゆかりと言うことには……」
思いきったように作爺さんは、
「コレ、安、しっかりしろヨ。お前の父親《てておや》かどうかは知らぬが、竣工の式に紫の衣装をつける人は、ただ一人……造営奉行の柳生対馬守様――と聞いたぞ」
「エッ! すると、それがおいらの父親《ちゃん》!」
うめいたチョビ安は、何を思ったか、眼いっぱいの涙。おどろいたのは源三郎で、もしそれが事実なら、チョビ安は自分の甥《おい》。
「安ッ! 貴様は柳生対馬守の落し胤《だね》でもあるのか。えらいことになったものだな」
と呆然《ぼうぜん》たる左膳へ、チョビ安はすすり泣いて、
「何言ってやんでえ、おいらアうれしくッて泣いてるんじゃアねえや。あたいの父《ちゃん》は大名か。ヘン、なアンだ。お大名の父《ちゃん》なんざあ、このチョビ安兄ちゃんは用はねえんだ。そうわかったら、一度にお座が覚めちゃったい。おいらの父《ちゃん》はやっぱりこのお侍さん。ねえ、お父上、いつまでもお父上でいておくれねえ……むこうの辻のお地蔵さん、ちょっときくから教えておくれ――なんでえ、おらあ大名の子なんかじゃあねえや、トンガリ長屋の安|兄哥《あにい》だい」
ドッとあがる笑いのなかには、言い知れぬ涙が含まれて。
左膳とお藤が、両側からチョビ安の手を――左膳ははずかしがる萩乃の手を取って、源三郎とならんで歩かせました。
泰軒だけは、一人ぽっちの大道せましと、江戸へ江戸へと、一同帰りの旅路に。
作阿弥は、やはりもとのトンガリ長屋の作爺さん。お美夜ちゃんとチョビ安と、母親の本性をとり戻したお蓮様と、楽しいくらしが続くに相違ない。
江戸へはいるすこし手前で、お藤の手を振りきった左膳は、萩乃と源三郎を祝福しながら、煙のごとく消息を絶ったという、伊賀の暴れン坊とは惜しい未勝負のまま。
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