畑の大根でも切るほうが、ましだろう。日光へか」
「ウム、兄貴が行っておるでなア。貴様はまた何しに日光へ」
 問われた左膳の一眼は、忘れようとしても忘れることのできない、美しい顔が、そこににっこり[#「にっこり」に傍点]立っているのを認めて、萩乃へ眼で挨拶。
「おうイ! 伊賀の暴れん坊とやら、あんまり荒っぽいこたアしねえがいいぜ。それから丹下の殿様、お藤の姐御、また江戸でお眼にかかることもありやしょう。泰軒先生が言いやしたヨ。君子あやうきに近よらずッてね、ヘッヘッヘ」
 と遠くの街道《みち》からこのとき捨て台詞《ぜりふ》の流れてくるのに、振りかえってみれば。
 逃げ足のはやいのが、このつづみの与吉の性得。もうドンドン江戸のほうへ引っかえしかけて、はやその姿は、わらじの蹴あげる土煙に、消えさってしまった。
 はからずもここに、ふたたび顔を会わせた伊賀の暴れん坊と丹下左膳。
 両雄。
 剣技をきそう烈々たる敵心をつつむに、一見旧友のごとき談笑のうちに、美女二人を加えての一行七人、小山から小金井、下石橋、あれからかけて、やがてのことに大沢、今市と、おいおい日光へ……。

   永遠《えいえん》の疑問符《ぎもんふ》


       一

 一足さきに日光へ着いた泰軒先生とチョビ安、造営奉行所へまともに願い出たところで、作阿弥に会わせてもらえるわけはないから、町の噂、人の口裏を、それとなく聞きだし、つづり合わせて考えると……。
 霧降りの滝の近くの谷に、さきごろから小屋を結んで、誰をも近づけずに、何やら仕事をしている一人の老人があるとのこと。
 それよりも、二人が気になってならない聞きこみというのは、護摩堂の壁とやらへ人柱を塗りこめることになって、もう、その母娘《おやこ》の犠牲《いけにえ》が、どこかの山内《さんない》の秘密の場所に、養われているという。
 人の口に戸を立てることはできない。もうこんなに知れわたって、町の人々は恐ろしそうに、ささやきかわしていた。
 もしかすると、お蓮様とお美夜ちゃんではないかしら?
 そう思うと、チョビ安も泰軒居士も、一刻の猶予もならない。
 といって、どこにその二人がかくまわれているのか、それをたずねでもしようものなら、即座にこっちの命があぶないにきまっている。
 で、まず第一に、作爺さんに会わねばと……こうして今。
 霧降り道からわかれて、急な崖《がけ》を谷底へたどり着いたチョビ安と泰軒先生。
「お爺ちゃん! あたいだよ、安公だよ! 泰軒小父ちゃんもいっしょだよ。江戸からお前をたずねて来たんだ。あけてくんねえ」
 いぶかしそうに戸をくった作爺さんが、顔を出して、
「おお安ッ! これはこれは、泰軒先生も」
「さまざまの話はあととして」
 と泰軒居士は、いつになくあわてぎみに、
「さっそくじゃが、お美夜坊とお蓮はここにたずねてこんかったかな?」
「ナニ、お美夜とお蓮も、この日光へ来ているのじゃと?……ははあ!」
 ポンと平手を打つと同時に、サッと顔色を変えた作阿弥、
「思い当たることがありますわい。母と娘の旅の者を、人柱に捕えたということを聞いたが、さては――」
「サ、われらがうれうるもそのこと。一刻もはやく救い出さねば……と申して、どこにかくされているものやら」
 突然、チョビ安が、うしろの山の上を指さして、
「あッ、たいへんだたいへんだ! 山火事じゃないかしら」
 さけぶ声に、泰軒と作阿弥が振りあおいで見ると、なるほど……日光の町のかなたに当たって、一団の焔が炎々と空をこがしている。
「町はさわぎらしい――ウム! このどさくさにまぎれて探せば、ひょっとすれば、知れぬこともあるまいと思われるが」
「とにかく、一刻をあらそう場合」
 作爺さんは何を思ったか、仕事部屋の板敷を一足とびに、その奥の土間へかけこんだかと思うと、
「これ! 足曳《あしびき》や、われとおらあながいあいだ、ひとつ屋根の下に暮らして、たがいに気心も知り合ったなかだ。今おれの娘と孫娘が、むごたらしく人柱にされようという瀬戸ぎわだ。一つ、存分に働いてくれよなア……」
 と、まるで人にもの言うよう……にわかにくつわ[#「くつわ」に傍点]を取りつけ、裸馬のまま引き出してきたのへ、
「うむ、これは思いつき!」
 ととび乗る泰軒居士、身の軽い老人と子供のことだから、作阿弥とチョビ安を前後にかかえこんで、三人を乗せた名馬足曳は、一路焔を望んで、道なき山道を日光の町へ――。

       二

「おお、かようなところに、小流れがある」
 と、足もとの闇をすかして、源三郎が言った。
 やっとのことで、一行が日光の町の下までたどり着いた夜中。
 眼の前には、真っ黒な山が切り立つようにそびえて、はるか上の断崖のふちに、雑木林にかこまれた一軒家の灯が、何事か
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