んの寝起きの面倒を見ることと、毎晩夜中に、こうしてお駕籠で上野の権現様へおまいりして、はるか江戸から、このたびの日光御造営がつつがなく終わるように祈念《きねん》を凝《こ》らすだけがわたしの務めさ」
先に立ってゆく左膳の肩が、こまかく動いたのは、かれ、噴《ふ》きだしたのらしい。
「プフッ! おまえに祈られちゃア、うまくゆく日光も、ぐれはま[#「ぐれはま」に傍点]になるだろうテ」
「おふざけでないよ。あたしだって、こんな馬鹿げたことはしたかアないけれどサ、その一風っていう爺さんの御代参に、こうして毎晩、権現様へ参詣させられるんだもの。ところがね、ふしぎなこともあるものでネ」
とお藤姐御が、笑いながら話したところによると。
濃艶な櫛巻お藤が、朝夕宗匠の世話をやくようになってから、一風さん、とても若返って、別人のようになったというから妙だ。
と言っても、相手は百二十何歳という、伝奇的な御老人のことですから、むろん、二人のあいだにはなんということもないのですが、いったいお藤のような毒婦型の美女からは、その身辺に、一種の精気といったようなものが発散されるものとみえる。毎日それを呼吸しているうちに、枯れ木にまちがって花が咲くように、一風宗匠の生命の灯が、新しい油を得てトロリとわずかに燃えあがったのでしょう。
ホルモンなどということを、近ごろやかましく言いますが、この享保《きょうほう》の昔に対馬守は、そこらの理屈を知っていたのかもしれない。こけ猿の壺が見つかり、その真偽に判定をくだすためには、もうすこし一風宗匠に生きていてもらわなければならないのだが。
その肝腎の一風宗匠は、伊賀から江戸までの旅にすっかり弱りはてて、今日明日にも眼をつぶろうというとき、偶然にも一行へとびこんできたのが、このお藤。
その妖艶な年増ぶりを見たとき、対馬守は、これは一風宗匠の若返りの道具に使える……と思ったに相違ありません。
「まるで赤ん坊みたいだったお爺さんが、このごろじゃアお前さん、りっぱに一人で部屋じゅう歩きまわるし、耳もちゃんと聞こえるようになったしね」
「これからまた育って、その百何年をもう一度繰りかえすのだろう。ついていてやりゃあいいじゃアねえか。功徳《くどく》にならア、いずれそのうち、丹下左膳てえ者がこけ[#「こけ」に傍点]猿《ざる》の壺を持って、鑑定をお願いに出ますと言っておけ」
「いやなこった! ここでお前さんを見つけた以上、あたしゃもうもう、どんなことがあっても離れやしないよ。柳生の屋敷へなど、二度と帰りはしないから」
左膳は無言。
ついてくるならかってに――と言わぬばかり、どんどん歩を早めて、浅草竜泉寺の方角へ。
お藤姐御も、おくれじと急ぐ。変てこな二人行列。
生命《いのち》の辻《つじ》
一
女のほうからおもわれると、その女に対して、たいした興味を持たなくなる……これが、色事師の常らしい。柳生源三郎も、その一人。
お屋敷育ちの武家娘らしい、つつましやかさで、萩乃が自分を恋していることは、百も承知しているのだが。
サテ、そうなってみると、萩乃とほんとうに千代をちぎり、この道場のあるじとなり、永久にここに根をはやそうというほどの、執着心もわかない。
ことに、それにはまだひとつじゃまがある。
それは……峰丹波の存在。
御後室お蓮様は、ある夜ひそかに道場を出奔して、行方不明になったものの、丹波はいまだに、その邸内の別|棟《むね》に頑張って、いっかな動きそうにない。
ああして真剣仕合いをいどめば、判定人を立ちあわせろというので、あの田丸主水正を兄対馬守に仕立て、ひと思いに丹波を斬ってしまおうとしたところが、あのとおりに狂言がばれて、丹波の首は一日のばしに、まだつながっているというわけ。
萩乃とは、ひとつ屋根の下に起き臥ししているというだけで、今もこの深夜に、萩乃は、長い廊下の奥の自分の部屋に、ただ一人、どんな夢を見てか――。
枕行燈に羽織を引っかけ、こっちへ向いたほうだけ燈芯《とうしん》の灯をむきだしにして、床にはらんばいになったまま、何やら書見をしていた源三郎は、廊下をこきざみに摺《す》ってくる跫音《あしおと》に、上半身を起こし、
「なんだ」
同時に、襖があいて、二、三人の興奮した若侍の顔が、すき間に重なり合い、
「林念寺前のお上屋敷の者どもが、一風宗匠の代参の婦中《じょちゅう》を駕籠に乗せまして、上野よりの帰途、三枚橋において白衣の狼藉者に出あい、ただいま加勢を求めてかけつけてまいりましたが……」
白衣の狼藉者? と、聞くと、源三郎の頭に、ピンとくるひとつの映像がある。
「ハテナ、彼奴《きゃつ》ではあるまいか」
ひとりごちた源三郎は、何か心中に、ふと思いついたことがあるらしく、
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