「今からかけつけたのでは、まにあわんであろうが――誰がまいったのだ」
「高大之進手付きの尚兵館の者ども二名」
「よし、二、三人ついてこい」
ニヤリと笑った源三郎が、手早く寝間着をぬぎにかかると、つぎの間からようすをうかがっていた小姓が、すぐ外出のしたくをととのえてささげる。
身じたくを終わった伊賀の暴れん坊多勢をさわがすほどのことでもないとそっと縁から庭づたいに、大刀を引っさげて裏口へまわってみると、なるほど、顔に見おぼえのある上屋敷の者が二人、ハアハア息を切らして立っている。
「片腕ではないかナ、その曲者《くせもの》は」
「ハッ、たしかに左手だけのようで……イヤもう恐ろしい使い手、またたくうちに二人ほど――」
ひさしぶりに、丹下左膳に相違ない。そう思うと、源三郎の若い血管は、友情と、剣技の敵としてのなつかしさとの、ふしぎな感情が交流するのを感じて、かれは、だまって小走りに急ぎはじめた。わしづかみにしてきた黒|頭巾《ずきん》で、クルクルと顔をつつみながら。
源三郎の臣三人ほど加えて一行六人、シトシトと深夜の土を踏む。
「左膳のやつ、まだウロウロしていてくれればよいが」
源三郎は、旧友に会おうとする心のときめきで、いっぱいだった。
二
「オオ、ここだここだ!」
一人が叫んで、三枚橋を黒門町のほうへすこし行った路傍に、まぐろのように横たわっている死骸へ、提灯の灯をつきつけて、
「ヤ! こいつはだめだ! 殿ッ、これはすっかり息の根が絶えております」
「もう一人斬られたはずですが……」
駕籠について来た上屋敷の侍がひとりごとのように言いながら、闇の足もとを見まわすと――。
近くに、断末魔のうめき声……まるで地の底からゆすれあがってくるような。
耳ざとく聞きつけた源三郎が、その声を頼りに探ってゆくと、左側の家のしめきった大戸によりかかって、一人の侍が、血の池の中に大あぐらをかいたまま、
「駕籠は……駕籠は――」
口ばしっている。
「駕籠はここにあるぞ。しっかりせい!」
と肩に手をかけて、源三郎がのぞきこむと、
「ウム、駕籠はここにあるが、乗っておったお藤どのは、あの浪人者のあとを追って――」
「サ、その浪人者だが、どっちの方角へまいった?」
「は……ア、アノ、この山下を車坂のほうへ、ソ、それから、なんでも二人の話では――」
「二人の話? すると、一風宗匠代参の腰元と、その狼藉者とは、知りあいとみえるな。シテ、ふたりの話では――どこへゆくと申しておった?」
「ナ、なんでも、浅草竜泉寺の――?」
「コラッ! 気をたしかに持てッ! その浅草竜泉寺の――?」
「ハッ、拙者は、もうこれにて……竜泉寺のとんがり長屋とかへ――闇中《やみ》に、そういう話し声が聞こえました」
人ふたり斬り殺された真夜中のさわぎ。両側の家々では、細目に板戸をあけて、おっかなびっくりのぞいているし、番太戸《ばんたど》の注進で、町役人たちもおいおいと出て来るようす。
かかり合いになって、この場をはずせなくなってはたまらないと、源三郎は二人の死傷者の始末に、上屋敷の者をその場へ残し、サッと風のように浅草の方角をさしてかけだしました。
その、おなじみの浅草竜泉寺のトンガリ長屋。
作爺さんの家では……。
名を秘め、世を忍んで、お美夜ちゃんとたった二人、ながらくただの作爺さんで日を送ってきた作阿弥が、柳生対馬守によって日光御造営へ召し出されたあと。
すぐそのあとを追って、お美夜ちゃんが母親のお蓮様とともに、これも日光へ発足《ほっそく》してしまう。
あとには――。
大小二人の変物が、妙《みょう》ちきりんな生活をこの家に送っている……蒲生泰軒とチョビ安|兄哥《あにい》と。
味気《あじき》ない思いのチョビ安です。顔を見たこともない父母が、恋しいばっかりに、あの「むこうの辻のお地蔵さん」の唄をうたって、親を探しに江戸へ出てきたのですが。
伊賀の柳生の者とだけ、いまだにその親にはめぐり会えず、かりに父ときめた丹下左膳とも離ればなれになり、親がわりのように世話をしてくれた作爺さんは、日光へ取られる。
子供心にも、恋人気どりのお美夜ちゃんには、ひと足さきに母親が名乗りでて、しかも、二人いっしょにこれも日光へ。
残った泰軒先生は、ガブガブ酒を飲みながら、毎日幾件となく持ちこんでくる、江戸じゅうの巷の人事相談に応じているばかり。チョビ安の「親をたずねる人事相談」にだけは、このさすがの泰軒先生も、手も足も出ない形。
ところが、今宵、めずらしくこの家に客があるのです。
しきりに、しんみりとした話し声。
三
まだ宵の口を、ちょっとまわったばかりのころ。
「では、大作、そのほうはここで待っておれ」
そう言いすてて、このト
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