唖の娘……その名を、お梶《かじ》という。
 彼女は。
 このたびの御造営に壁を受け持って、京都稲荷山からはるばる上ってきた伊助という左官頭の妹で、お蓮様づきとしてこの一つ家《や》へ送られるまでは、兄や、手下の左官どもとともに、奉行所につづくお作事部屋にいたのですが。
 唖だから、耳は聞こえないけれども、兄伊助とだけは、千変万化の手真似や表情で、かなり複雑な話ができるのも、これは肉親だから、ふしぎはない。
 ここへ来る前、ある夜兄の伊助が、お梶へ、いろいろと手真似をして、こんどあの護摩堂の西側の壁へ、人柱……それも、母と娘の二人を塗りこめることになった――と、話したことがあるのです。
 で、このお梶《かじ》だけは、お蓮様|母娘《おやこ》の悲しい運命を知っている。

       五

 陸つづきの離れ小島……といったのが、今のお蓮様の生活。
 彼女とお美夜ちゃんと、侍女のお梶とたった三人きり。外部とすっかり遮断されて、まるで島流しにされているようなもの。
 日に日に親しみがます。
 ことに、お美夜ちゃんは。
 外へ遊びに出られない退屈さ。遊びざかりの子が毎日雨にとじこめられているようなもので、朝からお梶を相手に、ままごとやら隠れん坊やら、かあいいはしゃぎ方。
 子供はなじみの早いもので、夜も、眼をこすりこすり枕を持って、お梶の床へゆくくらいですから、お梶もいつしかお美夜ちゃんに、小さい妹のような愛情を感じだしたのも、ふしぎはない。
 唖のお梶、幼い時分からのけ者にされて、暗い、いじけた心になっていたが、はじめてこの天真爛漫なお美夜ちゃんによって、人間的な心の眼をひらかせられた。
 耳が聞こえなくても、美しい人情はわかる。
 口はきけなくても、情愛を伝えるに困りはしない。
 いつしかお梶とお美夜ちゃんはちょっともそばを離れないほど、無二の仲よしとなったのも、奇縁であろう。
「ねえ、お梶。作爺ちゃんのお山のお仕事がすんで、みんなでお江戸へ帰るときには、お前もいっしょに行こうね。チョビ安兄ちゃんという、とてもいい人がお家《うち》に待っているよ」
 何を言っても、お梶はニコニコして、アワワと口をおさえたり、しきりに壁を塗るような手つきをしたり、なんだかサッパリわからないけれど、お美夜ちゃんはおもしろがって、
「まあ、お梶を見ていると、踊りのようだわ。口がきけないんですものねえ、かわいそうに」
 と、お梶の手を取って、お美夜ちゃんもニッコリする。
 そのお梶が、この二、三日、急に、めっきりふさぎこんでいるのは、
「こんなかあいいお美夜ちゃんと、お蓮様を、人柱などにして、生きながら壁のなかへ封じ込めてしまわなければならないのか――!」
 と、親しみがますにつれ、あわれも深まったというのは、これは人情でそうあるべきところ。
 この人柱のことは、いくら極秘にしても、微風のようなささやきが、造営奉行所をとりまくお作事部屋に、つぎからつぎと伝わって、諸職人のあいだには、もう誰知らぬ者もない。
 この唖のお梶さえ、兄の手真似をりっぱに判断して、ちゃんと知っているくらい。
 口のきけない者だから、秘密のもれる恐れは断じてなかろう……というので、選ばれてこの母娘《おやこ》の世話をすることになったのだが。
 片輪だけに情が深く、やさしくされればひと一倍、恩にむくいたいという心のわくことには、係役人は気がつかなかったとみえる。
 はじめお蓮様は、ションボリうなだれてばかりいるお梶を変に思って、頭を指さして顔をしかめてみせたり、お腹《なか》をかかえてうなるやら、いろいろやってきいてみたけれど。
 いいえ! というように、首を振るばかり――頭痛でも腹痛でも、病気でもないという。
 不憫《ふびん》な者だけに、ときどきこうして沈みこむのであろうと、お蓮様とお美夜ちゃんの二人は、ひとしおやさしくいたわる。
 それがまたお梶の身には、火責めにされるよりもつらいので。
 とうとうたまらなくなったお梶、ある夕方、突然、グッとお蓮様のたもとをおさえて……。

       六

 宵の口から、ポツリと落ちだした雨。
 山の天気は変わりやすく、アレ! 雨かしら? と思ううちに、一山ゴウッととどろきわたって、大粒な水滴が、まるで小石のように縁先の笹《ささ》の葉をうち鳴らす。
 沛然《はいぜん》。
 それに雷《らい》さえも加わったものすごさに、お蓮様はあわててたちあがり、
「お美夜や、手を貸してちょうだい。お梶はあんなに、ふさぎこんでばかりいて、このごろは、笑い顔ひとつ見せない。かわいそうだから、使いだてるのも遠慮しましょう。いい子だからお母ちゃんといっしょに、この雨戸をしめましょう」
「ほんとに、お梶はどうしたの? 母ちゃん。今もお台所にすわって、こうやって泣いているわよ。
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