して日光御造営が始まって、周囲四十里、お山どめになってからは、人別のきびしいことは天下周知のことだから、なにも今頃ノコノコ母娘《おやこ》連れで、この騒がしい日光へ出かけてくるものずきも、ないであろうテ」
「それはそうだとも。これでまた、お山を越えてどこかへ通ずる街道筋ならまた格別、ほとんど日光へ行くだけの日光街道、思うとおりに、母娘の人柱が網にかかってくれればよいけれどもなあ」
杉の木立ちのあいだに、ものものしい竹の矢来《やらい》を結びめぐらし、出口入口には炎々《えんえん》たる炬火《かがりび》が夜空の星をこがしています。
この日光御修覆のあいだだけ、登晃口《とこうぐち》のひとつである鹿沼新田《かぬましんでん》に、あらたにできたお関所です。
「いったい誰が言い出したことだ。護摩堂の壁に、母娘の人柱を塗りこめねばならぬなどとは」
「シッ! 声が高い。この御修営がとどこおりなく終わることを祈願されて、殿が思いつかれたということじゃ」
「イヤ、誰が言い出したにしろ、そんなことはいっこうかまわん。拙者等は役目として、人柱にもってこいの母娘二人連れをとらえさえすればよいのじゃ」
往来はシンとして、旅人の姿もないままに、関所役人たちはワイワイ雑談にふけっている。
雲の裏に、ドンヨリした月があるかして、白い粉のような光が立ち木のこずえ、草の葉の露に浮動しています。
その篝火《かがりび》のかげに、役人どもの顔が赤鬼のように、遠く小さく映《は》えているのを、はるかかなたから望み見ながら、疲れた足を引きずって、このとき、関所へ近づいてくる大小二つの女の姿がある。
旅のこしらえに細竹の杖をついた、母らしい人は、片手に、女の子の手を引いて歩きながら、
「くたびれたろうね、お美夜。足が痛くはないかえ?」
「いいえ、あたいね、お山へ連れてゆかれたお爺ちゃんのことを思うと、足の痛いのなんか、忘れてしまうの」
「マアそんなにねえ――お爺ちゃんにそんなになつくまでの長いあいだ、あたしは母でありながら、このかあいいお前をうっちゃっておいたんだったねえ」
「お爺ちゃんはネ、いつもあたいに、お前の母ちゃんは人非人《ひとでなし》だって言っていたよ。だからあたし、ちいちゃいときには、あたいの母ちゃんは人間じゃないんだと思っていた」
「もうそんなことは言わないでおくれ。だけど、ほんとうにそう思われてもしかたがない。だが、もうもうこれからは、けっしてお前をはなしはしないよ」
江戸から泊りを重ねて、もう日光までは眼と鼻のあいだ。ここまで来るあいだに、旅はことさらに人を近しくするもの。いわんや、血の通う母と娘である。
お美夜ちゃんも、もうスッカリお蓮様に親しんで、脚絆《きゃはん》、草鞋《わらじ》がけのかあいい足を引きずりながら、
「ねえ母ちゃん、もうじき日光なの?」
「ええええ、あとほんのすこしのしんぼうですよ」
と、お関所へさしかかったときである。
「待てッ」
横あいから、グッと棒がつき出て立ちはだかった一人の侍、
「姓名住所は、何も聞かんでよろしい。ただひとこと――お前たちは、母娘《おやこ》であろうナ?」
七
以前のお蓮様なら、眉ひとつ動かさず、
「無礼をすると容赦《ようしゃ》はいたしませぬぞ」
ぐらい、ちょいと威猛高《いたけだか》なところを見せたはずだが。
今は、名もない旅の女。
「ハイ」
と、口のうちに答えつつ、手ばやく裾を引きさげ、そこへしゃがみこみながら、
「お美夜や、コレ! 立っていてはいけません。お侍様に失礼があっては……」
と手を引っぱってすわらせようとするのも、できるだけ下手に出て、早くこの関所を通してもらいたいという、矢のような心があればこそ。
制止した武士は、そのまま棒を斜《しゃ》にかまえて、
「念のために、もう一度きくぞ。たしかにそのほうどもは、母娘に相違あるまいな」
親子と言われることは、このごろ急に母性愛に眼ざめたお蓮様には、何ものよりもうれしいので。
眉の剃りあとの青い、美しい顔を、思わずニコニコほころばせるのも、あながち、番人へのお追従だけではない。
「はい。あなた様のお目にも、まぎれもなく母と娘と見えますでございますか。まア、なんというありがたい――」
「コレコレ、妙な挨拶だな。確かにこの児そのほうの娘かと、きいておるのじゃ」
「マア、妙にお疑り深いお言葉。誰がなんと申しても、このお美夜はわたくしの一人娘、わたくしはお美夜のただ一人の母。どっちから申しても同じこと。サ、女旅で先を急ぎまする。おうたがいが晴れましたら、どうぞ、お通しのほどをお願いいたしまする」
お美夜ちゃんもそばから、
「ねえ、母ちゃん、このお侍さんにおねがいして、早くとおしてもらいましょうよ」
じっと二人のようすを見守っ
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