がら、
「しかし、言い出したものが人柱に当たるということは、昔からよく例のあることで」
「さればさ」
 対馬守は重々しく、
「出雲国《いずものくに》松江《まつえ》の大橋をかけるとき、人柱を立てることになったが、誰もみずからすすんで犠牲《にえ》になろうという者はない。そのとき、源助なる者が、着物に継ぎのある者を探して人柱にするがよいと言い出したところが、調べてみると、その源助の背中に横つぎが当たっていたので、いい出した源助が人柱に立てられ、これで、さしもの難工事も落成し、源助は死後長く橋桁《はしげた》を守っていまだに源助柱という名が残っておると申す。どうじゃナ主水正、貴様も、もう年に不足はあるまい。今になってたれかれと人柱を探すより、貴様、その護摩堂の壁へはいって、主水壁……イヤどうも、これでは語呂《ごろ》が悪い。田丸壁、ははははは、ひとついさぎよく人柱に立たんか」
「殿、御冗談が過ぎまする」
 滅相もないという顔で、主水正が平伏するのを、別所信濃守は静かに見やって、
「イヤ、柳生殿、護摩堂の人柱は、婦人《おなご》と子供――それも、母子《おやこ》づれがもっともよいということで」
 助かったように主水正は、顔を上げました。
「ソレごろうじろ。かかる老骨では、絢爛《けんらん》をきわめるかの護摩堂の人柱には、役だち申さぬ、アア助かった」
「さようか。女と子供、しかも、母子二人でなければならぬとナ、ハアテ……」
 この護摩堂の天井は唐木《からき》の合天井《ごうてんじょう》になっておりまして、そこに親獅子《おやじし》仔獅子《こじし》の絵がかいてあった――今はないけれども――その母獅子のほうは、狩野秀信《かのうひでのぶ》の作。
 仔獅子のほうは、秀信の子|狩野助信《かのうすけのぶ》の筆だと伝えられていた。
 そのせいでしょうか、この護摩堂の壁に母子の人間を塗りこめなければ、こんどの大造営は成功しない……たれ言い出したともなく、今こういう話が持ち上がっているのです。
「それでは、通りがかりの旅人をひっとらえて、人柱に塗りこめるよりほかみちがあるまい。主水! そちに一任いたす。鹿沼新田《かぬましんでん》の関所に出張《でば》って、しかるべき母と子の旅の者を物色いたせ。極秘にナ――ぬかるまいぞ!」

   母娘旅《おやこたび》同行二人《どうぎょうふたり》


       一

「オウ、そこに立ってるのはお美夜《みや》ちゃんじゃアねえか」
 こう声をかけたのは、片肌ぬぎに柄杓《ひしゃく》をさげた石屋の金さんだ。
 このトンガリ長屋の入口に住んでいる人で。
 今、この夕方、路地のまえに遣《や》り水と洒落《しゃれ》ていたところ……。
「おめえ、うすっ暗《くれ》えところにボンヤリ立ってるから、ちっとも気がつかなかった。オオオオ、足へ水をかけてしまったが、まっぴらごめんなヨ」
 石金さんはそう言いながら、片手にさげた柄杓のしずくを切って、お美夜ちゃんのそばへ寄っていった。
 あわい夢のような、紫のたそがれのなかに、白い大輪の夕顔とも見えるお美夜ちゃんの顔が、ボンヤリ浮かんでいます。
 暑かった江戸《えど》の一日も終わって、この貧しいとんがり長屋にも、自然はすこしの偏頗《へんぱ》もなく、日暮れともなれば、涼しい夕風を吹き送るのでした。
 何はなくとも、路地口のへちまの棚、近くの竜泉寺の椎《しい》の梢《こずえ》に、雨とひびくひぐらしの声。
 仲店には、今宵《こよい》も涼みの人がにぎわい、町内のかどかどには縁台が出て、将棋、雑談、蚊やり――なつかしい江戸生活の一ページ。
 水をまいていた石金は、今のひと柄杓《ひしゃく》が、したたかお美夜ちゃんの裾にかかったのにおどろいて、あやまり顔にそばへ寄り、肩へ手を置きながら、
「悪いおやじメだ。かあいいお美夜ちゃんに水をかけて、ヤア、こんなにぬらしてしまったナ。なア、かんにんしておくれよ……オヤ! おめえ泣いてるじゃあねえか」
 顔をさしのぞくと、なるほどお美夜ちゃんは、パッチリした眼にいっぱいの涙です。
「水をかけたぐれえで、泣くもんじゃアねえ。と言っても、女の子のことだ。おべべをよごしたのが悲しいのだろう。ほんとにおいらが悪かった。サア、きげんをなおして家《うち》へけえんな」
 無骨な石金が、一生懸命になだめるが、お美夜ちゃんは返事もしません。
 大粒の涙がかあいい頬を、ホロホロつたわり落ちるのにまかせて、小さな石像のようにつくねん[#「つくねん」に傍点]と立ったまま。
 ツクネンと立つたまま、じっとみつめています。血綿《ちわた》のような夕陽雲《ゆうひぐも》のただよう西の空を。
 石金の言葉など耳にもはいらないお美夜ちゃん。足にしたたか水がかかったのも、てんで気がつかないらしい。
 なんといっても黙っていたのが、しばら
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