いていた。
 深夜だし、密議のことだし、しめきってある。
 ドン! と、その板戸に、何かぶつかる音がしたのです。たった今。
 たとえてみれば、人間が一人、力いっぱい体当りくれたような……。
「なんだろう、何者か立ち聞きをしていたのでは――」
「あけてみろ」
「イヤ、貴公《きこう》、あけてみろ」
「なにを臆病な……よし! わが輩があけてみる」
 と気おいだって、たち上がったのは、若侍の山脇左近《やまわきさこん》。

       三

 威勢よくつっ立ったものの、おっかなびっくり。
 だが。
 なみいる仲間の手前もある。いまさら引っこみのつかなくなった山脇左近、
「誰だッ?」
 叫びながら、端の雨戸を一枚引きあけた。
 ドッと音して吹きこむぬれた夜風。戸外《こがい》には、丑満の暗黒《やみ》につつまれた木立ちが、真っ黒に黙して、そのうえに、曲玉《まがたま》のようにかかっているのは、生まれたばかりの若い新月。
 人っ子一人、犬の仔《こ》一匹いません。
 照れかくしに左近は、若いお侍さん、小遊興《こあそび》のひとつもやろうというおもしろい盛りなので、意気ぶった中音《ちゅうおん》に、
「たたく水鶏《くいな》についだまされて……月に恥ずかしいわが姿……なんてことをおっしゃいましたッてね」
 武骨者ぞろいの道場には、ちょいと珍しい渋い咽喉《のど》を聞かせて、そのまま、ガタン、ピシャッ! 戸をしめようとすると、その雨戸のすき間に、つぶされたようにはさまっているものがある。
「なんだ、これは……」
 その、半分ほど座敷のほうへしめこまれているものを、足もとをすかしてよく見ると……。
 姫ゆりの花。
 風流です――と言ってはおられない。何者がなんのために、この部屋の外へ、姫ゆりの花などを持って来たのか?
 しかも、庭から忍んで。
 不知火の門弟一同、さっと丹波の顔へ眼を集めた、指揮を求めるように。
「左近、もう一度雨戸をあけて、その花を取ってみるがよい」
 そこで左近が、また雨戸の桟《さん》をはずし、一、二寸戸を引いて、すき間からその姫ゆりを抜き取ってみますと……果たして、茎に、一枚の紙片がむすびつけてある。
 誰かが庭づたいに来て、これを雨戸のすきへ押しこめたのち、ドンと戸をたたいて逃げて行ったのだ。
 どこから?――などと、きくだけ野暮。
 この庭のむこうに対峙《たいじ》している、伊賀侍のしわざにきまっている。
 伊賀の暴れん坊……柳生源三郎の使者《つかい》。
 峰丹波、手のふるえを部下に見せまいと努めながら、文《ふみ》をひらきました。
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「近くお礼に参上すべしと先刻申し上げしとおり、明朝、当屋敷内の道場において、真剣をもって見参つかまつりたし。いつまでかくにらみ合っておっても果てしのないこと。峰丹波殿と拙者源三郎と、明朝を期し、白刃の間にあいまみえ、いずれがこの道場の主人《あるじ》となるか、力をもって、即刻決定いたしたき所存……云々《うんぬん》」
[#ここで字下げ終わり]
 と、こういう意味の文言《もんごん》。
 読み終わった丹波は、サッと変わった顔色を一同にけどられまいと、じっとうつむいて考えこむふり。
 怖れていたものが、来たのだ、とうとう。
 心配気な顔、顔、顔が、前後左右から、丹波をとりまく。
 弱味は見せられない立場です。
「かつて知らぬ刃《やいば》の味、それを一度、身をもって味わうのも、イヤ、おもしろいことであろう」
 変な負け惜しみだ。丹波は、そう謎のようなことを口ずさんだが、その心中は悲壮の極《きょく》です。斬られる覚悟。
 明日《あした》を期し、四十何年の生涯の幕を閉じるつもり。
 伊賀の源三郎に刃《は》のたたないことは、誰よりも峰丹波が、いちばんよく知っている。
「矢立と懐紙を……」
「源三郎からですか。なんと言ってまいりました」
「おのおの、何もきいてくださるな。朝になればわかることじゃ。紙を、筆を――」
 と丹波は、おののく手をふって、誰にともなく命じた。

   笹便《ささだよ》り


       一

「どうした、戸のすきにはさんできたか」
 と源三郎は、例のかみそりのような蒼白い顔に、引きつるような笑いを見せて、折りから庭づたいに帰ってきた谷大八を、見迎えた。
 大八、袴のうしろをポンとたたいて、膝を折り、
「ハッ、うまくやってまいりました。何やら多勢で、ワイワイ論じておりましたが」
「ウフッ、今ごろは丹波のやつめ、さぞ青くなっておることであろう」
 そう言って源三郎は、ゴロッと腹ばいになりました。
 黄《き》びらの無紋《むもん》に、茶献上《ちゃけんじょう》の帯。切れの長い眼尻《めじり》に、燭台の灯がものすごく躍る。男でも女でも、美しい人は得なものです。どんな恰好《かっこう》をしても、そ
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