番《ちょうつがい》が、どうしてもいうことをききませんようなありさまで、不覚ながら障子につかまって、やっとおのおののところへ注進に来ましたようなしだいでござりまして――」
言うことまで、いやにながったらしい。
山のような角ばった前山彦七が、水銀でも飲んだようなしゃがれ声を出して、
「貴殿も幽霊と思われた組だな。どこをどうして助かったか知らぬが、あれから何事もなくずっと道場に暮らしていたような面《つら》つきでヒョコッと庭におりて水をまいていたのだから、まったくもって皮肉なやつで……まず拙者は、ひと目見るより早く、ペタリとすわった――」
「ハハア、腰を抜かして」
「イヤ、そう言ってしもうては、花も実もござらぬ。実は、下からすかして、彼奴《きゃつ》に足があるかどうか、それをたしかめようと存じたので」
「幽霊か否《いな》かをナ。なるほど、ときにとって思慮ぶかい御行動……」
はや腰を抜かしたのが、ナニ、思慮の深いことがあるものか、仲間でほめ合っている分には、世話はない。
冗談はさておき。
あの漁師の娘、お露坊の嫉妬から出た注進によって、玄心斎その他が、あわてふためいて三方子川尻の六兵衛の家に駆けつけ、病後の源三郎を、即刻この道場の別棟《べつむね》へ迎い戻した。
そうして帰ってきた源三郎が、前からここにいたように、日常茶飯事に託して自分の姿を、チラリチラリと不知火のやつらに見せたことは、この連中のあいだにこんな大恐慌《だいきょうこう》をもたらしたので。
かくて、丹波を中心に、生残り組のこの大評定となったのです。
このとき、外の廊下に、サヤサヤとやさしい裾さばきが、足ばやに近づいてきた。
「ア、お蓮様がおいでだ」
一同は、いっせいにすわり直しました。
二
「皆様、こちらにおそろいで」
障子のそとの廊下に、小膝をついた女の声。佐々《さっさ》玄八郎が、いぶかしげな低声《こごえ》で、
「ヤ、お蓮様ではないぞ」
「アノ、そのお蓮様のことでござりますが……ごめんあそばせ」
声とともに、静かに障子があいて顔を出したのを見ると、お蓮様づきの侍女、早苗《さなえ》です。
玉虫色《たまむしいろ》のおちょぼ口を、何事かこころもちあえがせて、
「峰様におたずね申しあげます。お蓮様はどこへゆかれましたか、御存じでは?――宵の口から、何かひどくうち沈んでいらっしゃいまして、お夕餉《ゆうげ》のお膳をおすすめしても、食べとうないとおっしゃるばかり、お箸ひとつつけずに、そのままお下げになりましたが、いつのまにか、ふっとお姿が見えなくなりまして――」
「ナニ?」
ギョロリと大きな眼を向けた丹波、この眼で、腰元などにはひどくおどしがきくので。
「そこここをおさがし申したであろうな」
「それはもうおっしゃるまでもございません。お部屋というお部屋はもとより、お庭のすみずみまで、わたくしども一同手わけをして……もっとも、鬼どもの住家《すみか》のほうへは、恐ろしゅうて近よれませんが」
侍女どもが「鬼の住居《すまい》」と言っているのは、源三郎とその一党が、ふしぎな頑張りをつづけている同じ邸内の一角のことだ。
「フウム」
丹波は思案に眼をつぶって、
「十五や十六の少女《おとめ》ではない。何かお考えがおありで、そっと戸外《そと》へ出られたものであろう」
「それにいたしましても、私どもへひとことのおことばもなく――何やらこの胸が、さわいでなりませぬが」
額を青くしている早苗を、丹波《たんば》はうるさそうに見やって、
「大事ない。おっつけ御帰館になろう」
「でも、この真夜中にお供もお連れにならず、いったいどちらへ?」
「それは、わしにはわからぬ。なんだかこの二、三日、ひどくしょげ返っておられたよ。あの年ごろの婦人は、ふっと無情を感ずることがあるものだからな……」
丹波もさびしそうな顔をしたが、気がついたように、大声に、
「いずれにしても、婢《おんな》どもの知ったことではない。こちらはお蓮様どころではないのだ。お末の者一同、さわがずと早く寝《やす》めと申せ」
「さようでございますか、それでは――」
と、早苗は、あたふたとさがって行く。
あとは、車座《くるまざ》になって一同が、不安げな顔を見合わせて、
「どうしたのだろう、お蓮様は」
「何から何まで、意のごとくならんので、ヒステリイを起こしたのでは……。」
ヒステリイなどと、そんな便利な言葉は、その当時はまだなかった。女の言ったりしたりすることで、男のつごうが悪いと、世の良人《おっと》諸君はみんなヒステリイで片づけてしまう。これは、余談。
「生きている源三郎を見て、心境に大変化をきたしたのかもしれぬテ……オヤ! なんだ、今の音は」
この言葉の最中に、皆は、庭へ向かった雨戸のほうへ、一度にふり向
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