じっとお爺ちゃんの顔を見あげています。
 恩愛と、生死を賭けた芸術心との、二|筋道《すじみち》……。
 石のように動かない作阿弥、かすかに口をひらいて、主水正へ、
「大岡……大岡越前守か。うむ、いつぞやこのお美夜|坊《ぼう》が、大岡どののお屋敷へお届けものをして、じきじきにお目どおりを許されたさい、これの口《くち》から越州殿《えっしゅうどの》にも、お願いしてあるはずじゃが……」
 と、ハッと心づいたように、
「ウム、そうじゃ!――頼みがある。対馬守様に、お願いがあるのじゃ。聞いてくだされ。これ、ここにおるチョビ安という者は、貴殿の御藩、伊賀国柳生の里の生れだそうじゃが、父も母もわからぬもの。こうして江戸へまいって、幼い身空で世の浪風にもまれておるのも、その、顔も知らぬ父母をさがし当てんがため。そこで田丸氏、願いというのはほかではない。貴藩の手において、このチョビ安の両親をさがし出してはくださらぬか」

       六

「同じ伊賀なれば、さだめし、チョビ安の両親を知る者も、ないとはかぎらぬ。藩中に広く手をまわして、おたずねくださらば、思わぬ手がかりもつくであろうが」
 作阿弥の言葉に、主水正はおどろいた眼をチョビ安へむけて、
「ホホウ、このお児《こ》は、伊賀の者か。ハッハッハッ、そう言えば、道理で、眉宇《びう》の間《かん》に、年少ながらも、人を人とも思わぬ伊賀魂《いがだましい》が、現われておるわい。イヤ、あらそわれんものじゃ」
 何を思ったかチョビ安は、それを聞くと、グイと小さな胡坐《あぐら》をかいて、
「ヘッ、笑わかしゃがらア。お爺ちゃんを引っぱり出してえもんだから、急に、おいらにまでお世辞を使ってやがる。ウフッ、その手にはのらねえよ」
 主水正は図星をさされて、苦笑の顔をツルリとなでながら、
「イヤ、どうも、辛辣《しんらつ》なものですナ。これ、チョビ安どの……同じ伊賀の者と聞いて、なんだか急に、なつかしゅうなったワ」
 すると、何事かを決心したらしい作阿弥は、クルリと主水正へ膝を向け変えて、
「御相談がござる。貴殿の手で、このチョビ安の父母をさがし出してやろうと約束してくだされば、この作阿弥、ただちに長屋を出て、御用にあいたつよう粉骨砕身《ふんこつさいしん》いたすでござろう」
と聞いた主水正は、横手《よこで》を打ち、
「ウム、つまり条件でござりますな。当方において、チョビ安の両親をたずねるとあらば、これよりただちに、いまわれわれの手において集めつつある工匠《たくみ》の一人として、日光へお出むきくださる……承知いたした。チョビ安どのの父母は、拙者が主となってかならずともに発見するでござろう」
 泰軒がそばから、
「それでは作阿弥殿、チョビ安のために、日光御出馬を決心なされたのか。ゆくもゆかぬも御辺の心まかせじゃ。この泰軒は、何ごとも言うべき筋合いではござらぬ」
 これでチョビ安|兄《にい》ちゃんの両親が知れれば、お美夜ちゃんも、こんなうれしいことはない――といって、そのために、このたった一人のお爺ちゃんに別れるのは、死ぬよりつらいし……。
 と泣き笑いのお美夜ちゃん、小さな手で、作爺さんの膝をゆすぶって、
「お爺ちゃん、チョビ安さんのためなら、あたし、どんなさびしい思いもがまんするわ。ね、日光へお馬を彫りに、行ってちょうだいね」
 と、泣きくずれます。
 チョビ安たるもの、だまっていられない。
「おウ作爺さん、それはおめえ、とんだ心得ちげえだぜ。そんなにまで、おいらのことを思ってくれるのはありがてえが、いまおめえがいなくなったら、お美夜ちゃんにゃア一人の身寄りもなくなるじゃアねえか、おいらの父《ちゃん》やお母《ふくろ》のことなんか、どうでもいいから、その日光の話とやらを、ポンと蹴っておくれよ。ナア、作爺ちゃん」
 と左右から、チョビ安とお美夜ちゃんにすがられた作阿弥、同時に二人の手を振りほどいて、
「田丸殿、迎えの駕籠が、待たせてあるとおおせられたな」
 スックと起ち上がった。
「泰軒どの、何やかやと、長いあいだ親身も及ばぬお世話にあいなった。御迷惑ついでに、それでは、この二人の面倒をお願いいたしまするぞ。泰軒先生」
「これはまた、気の早い。もう御出発か。イヤ、心得た。あとのことは御心配なく……田丸殿さえ言葉をたがえねば、安の両親はおっつけ知れるであろうし、お美夜ちゃんは、及ばずながらこの泰軒が娘と思って――」

       七

 心境の変化は、突如として起こることがある。
 その例の一つが、司馬道場のお蓮様。
 もっとも。
 近ごろお蓮様が、何やら身のはかなさを感じ、心細さにうちのめされていたことは、事実だ。
 それはそうでしょう。
 あくまで排斥しようとした源三郎に、断《た》つに断《た》てない愛を感じたのですもの。
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