コ、コレ、源三郎さまはどこにおいでだ。イヤ、若君にはいずくに……」
「そして、まア、くやしいのなんのって、お二人で膝がくっつきそうにすわって、ほっぺたを突つき合ったり、会いたかったの見たかったのッて、そのいやらしいッたら、とても見ちゃアいられませんの」
「コレコレ、順序を立ててものを言え。漁師六兵衛とやらの娘とかいったな。シテ、源三郎様は、貴様の家においであそばすのか」
「ハイ、お父《とっ》さんが川から助けてきて、それからずっと、わたしの家の裏座敷に、寝たり起きたりしていらっしゃいます」
「ウム、そうかッ!」
 大八ははやりたつ両手で、自分の膝をわしづかみにしながら、
「して、昨晩その源三郎様のもとへ、萩乃さまが会いにおいでになった、と申すのだな?」
「ハイ、あの丹下様という、隻眼隻腕の怖《こわ》らしいお侍さんにつれられて――」
 突然、突っ立った谷大八、廊下のほうへ向かって大声に、
「オイ、玄心斎どの、イヤ、皆の者、殿のお隠れ家《が》が判明いたしたぞ」
 と呼ばわりますと、今まで隣室の大広間で、ワイワイゆうべの騒ぎを話題にしていた一同は、玄心斎を先頭に立てて、なだれこんできた。
「ナニ? そうか。イヤそうだろうと思った。伊賀の暴れん坊とも言われるあの若君にかぎって、丹波などの奸計《かんけい》におちいるお方ではないのだ。それはめでたい、めでたい。すぐさまお迎えに!」
「そうだ、お迎えだ! お迎えだ!」
 こうなると、知らせてくれた三|方子村《ぼうしむら》のお露は第一の殊勲者、伊賀侍の眼には、救いの女神とも映るので。
「婦人の身をもって、早朝から遠路まことに御苦労でござりました。サ、サ、まずおあがりなされて」
「コレ、大恩人じゃ。粗相があってはならぬぞ。お座蒲団を持て。誰かある、お茶を――」
「はッ、粗茶ながら、ひとつお口湿《くちしめ》しを……」
 と急に、下へもおかぬもてなし。
 何が何だかわからないお露、手を取らんばかりに引き上げられて、床の間の前の上座へすわらせられてしまった。
 きっと騒動が持ち上がるに相違ないと、それを楽しみに、駈け込み訴えのように飛んで来たのに、その目算《もくさん》はガラリはずれて、一同は涙ぐむほどの感謝ぶりだ。
「では、さっそく貴殿方《きでんがた》へ出向いて、源三郎様と萩乃さまをこちらへお迎え申す。殿がお帰りになれば、またお言葉も下《さ》がるであろうから、お露どのと申したナ、なにとぞ貴殿は、それまでこちらにごゆるりと御休息あって――」
 お露はポカンとしながら、玄心斎、大八ら、五、六人のおもだった者が、にわかのしたく、あわてふためいて邸《やしき》を出て行くのを、ぼんやり見送っていた。

       四

 人間は、思うこと意のごとくならず、心細く感ずる瞬間に、本心にたち返るものだ。
 今のお蓮様《れんさま》がそうである。
 故司馬先生の在世中から、代稽古|峰丹波《みねたんば》とぐる[#「ぐる」に傍点]になって、この不知火《しらぬい》道場の乗っ取りを策してきた彼女、それからこっち手違いだらけだ、策動にも、気持のうえにも。
 第一に、義理ある娘萩乃の婿として乗り込んできた伊賀の暴れん坊に、お蓮様が横恋暴。道場も横領したいし、源三郎も手に入れたいし……これでは、お蓮様の鋭鋒《えいほう》もすっかりにぶってしまって、峰丹波の眼から見ると、はがゆいことばっかりなのはむりもない。
 丹波もお蓮様も、柳生源三郎などはどうでもいいのだった。それよりも、彼が婿引手として持ってくる柳生家重代の秘宝[#「秘宝」に傍点]、こけ猿の茶壺をねらって、壺を手に入れたうえで源三郎を排斥しようとしたあの運動が、最初から、いすかのはしと食いちがって……。
 が、なんといっても源三郎を恋しはじめたのが、お蓮様にとって、思いがけない自己違算の第一歩。
 ここは納戸のかげの、ちょっと離れた隠れ座敷です。
 軒も暗むまでに、鬱蒼と茂った樹木が、室内いっぱいにうすら冷たい影を沈ませて、昼ながら畳の目も読めないほど。
 木の葉の余影で、人の顔も蒼く見える――この頃ここが、ひとりものを考えるときのお蓮様の逃避所になっているのだ。
 だが、
 いまこの部屋の真ん中にぽつねんとうなだれているお蓮様の横顔が死人のごとく蒼白いのは、木々の照り返しのためだろうか。
「まだ死骸は出ないけれど、とても生きていらっしゃろうとは思えない」
 敵であるはずの源三郎……彼に対して恋心をいだいたばっかりに、丹波と二人でしくんだせっかくの芝居はいまだにらちがあかない。
 あのにくらしい、慕わしい伊賀の暴れん坊!
「丹波と申しあわせて、何度か殺そうとしたけれど、そのたびに自分は、命乞いをしたくなったっけ――」
 最後に、あの穴の中におとしこんで、三方子川の水を引いてせめ殺し
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